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社説・コラム

旬なひと 岡山被爆2世・3世の会呼び掛け人 加百智津子さん 支え合いつつ 体験継承

 岡山県内の被爆2世たちが家族の体験を継承し、核廃絶を訴えようと、初の県組織「岡山被爆2世・3世の会」を10月に設立する。準備を進める呼び掛け人の一人、加百(かど)智津子さん(65)=総社市=に経緯や狙いを聞いた。(永山啓一)

 ―なぜ会をつくろうと思ったのですか。
 県内の被爆2世の会は津山市にあるが、全県組織はなかった。一昨年まで務めたコープおかやまの職員として平和運動に関わってきた。戦後70年を迎え、被爆者も高齢化している。被爆2世として体験を継承することは使命だと思った。

 ―賛同者をどう集めたのですか。
 直接のきっかけは昨年7月、岡山市内であった平和行進。同じく行進に来ていた志賀雅子さん(64)=倉敷市=が「私も被爆2世」と名乗り出たのを聞き、声を掛け、会を設立しようと話した。口コミで仲間を集めて呼び掛けた。

 ―両親はどんな体験をされたのですか。
 1945年当時、結婚したばかりの両親は大竹市に住んでいた。8月6日、母は建物疎開の動員で広島市に来て爆心から約1キロの地点で被爆した。上半身に大やけどを負ったが、一命は取り留めた。父も翌日、母を捜して広島市に入った。

 ―両親から体験を聞いていたのですか。
 母は毎年8月になると「原爆を許すまじ」を歌っていた。母は戦後2人の子を授かったが、2人とも生まれた直後に亡くした。昨年92歳で他界したが、「原爆の毒を子ども2人が持って出たから私はこれだけ生きられた」と話していた。私が結婚して子どもを産む時も母は被爆の影響を気にしていた。原爆が最後まで母を苦しめていたのだと思う。

 ―2世・3世の会としてどんな活動をしていきますか。
 私は20年前から両親の被爆体験を中学校などで話してきた。体験を継承する活動を続け、核の廃絶を訴えたい。2世の健診への公的支援も求めたい。会設立のニュースが報道された後、2世の女性からの電話を受けた。差別を受け、結婚できなかったなどと涙ながらに訴えられた。そういう方たちの支えにもなりたい。

(2015年8月23日朝刊掲載)

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