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元銀行員の体験記再刊 被爆70年 風化に危機感 「三菱」勤務 熊巳さんの妻

 広島への原爆投下時、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)広島支店に勤務していた熊巳(くまみ)武彦さん(1907~95年)の被爆体験記「ピカッ、ドーン!!九死に一生を得た一銀行員の記録」が再刊された。妻の淑子さん(86)=東京都中野区=が被爆70年を機に、私家版だった本を自費出版。惨禍に巻き込まれながらも、営業再開に向けて努力した銀行員たちの姿を伝える。(山本祐司)

 125ページにわたり毛筆でしたためた体験記は「有史以来始めて核攻撃が行われた歴史的日」(原文のまま)から始まる。爆心地から約1・2キロの広島市河原町(現中区)の自宅で被爆。光の輝きやごう音と同時に「上半身に煮え湯をぶっかけられたような激痛を感じ気を失った」、あの瞬間を克明に記す。

 気付くと、上半身に二十数カ所けが。顔は膨れあがった。陸軍病院江波分院や知人宅に逃げ、翌7日、芸備線の列車で三次市の生家に避難した。

 「銀行業務の再開に尽力したい」と15日に広島に戻った。爆心地から約300メートルの革屋町(同)にあった支店は焼け崩れ、近くの日本銀行広島支店に仮営業所を開いていた。目にしたのは、頭や腕に包帯をしたまま働く行員。東京の本店から救援隊も到着していた。

 「金融機関に職を奉ずる者の責任感が、あの非常時に於(おい)ても発揮された」。天井の一部が抜けていたため雨をしのぎながら働いたこともあった。31日まで毎日出勤し、療養のため三次に戻るが、10月下旬に再び復帰した。50年まで広島支店に勤務、62年に退職した。

 晩年は、バブル景気に浮かれる金融機関を見て「死にかけている。貧しい人や苦しい人を助け、健全な社会をつくることが銀行の使命」と嘆いた。原爆の悲劇と銀行の役割を伝えようと93年、体験記をまとめた。

 犠牲になった同僚22人の名前を刻み、「一人一人の懐かしい昔の笑顔が思い出され、涙を禁じ得ない」と胸を痛めた。本を寄贈した故福田赳夫元首相からは「全世界に向かって原爆廃絶のため努力していく」と手書きの礼状が届いた。惨禍が二度と起きないよう願う気持ちの支えになった。

 それから22年。淑子さんは愛する夫の亡き今、「時代が変わり、平和への意識が形骸化している」と懸念する。国民の声に耳を傾けない政治や、戦争や原爆の記憶が軽く扱われる風潮に危機感を抱き、再刊を決めた。熊巳さんのめいの長男で、会社顧問の熊野義夫さん(66)=東区=の助けを得て、手書きの体験記と英訳版のセットを600部制作。北朝鮮を除く、八つの核兵器保有国の大使館や全国の都道府県教委などに贈った。若者にも読みやすいよう活字版(1512円)も1400部作った。

 「夫が心を込めて書いた体験記を若い人に伝え、一人一人に平和をつくろうと感じてもらうことが私の使命」と淑子さん。記憶が受け継がれ、平和を尊重する心が広まることを望む。

 活字版の問い合わせは大原哲夫編集室(東京)Tel03(6272)9570。

(2015年8月24日朝刊掲載)

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