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社説・コラム

『言』 イラン毒ガス被害支援  広島から「心の薬」 今後も

◆モーストの会理事長・津谷静子

 イランが国際社会から注目を集めている。経済制裁の原因となってきた核問題が米国などとの交渉で最終合意に至ったからだ。広島市東区のNPO法人モーストの会は同国の毒ガス被害者に寄り添い、医療支援を長年続けてきた。今なお国民生活に不安を抱える中東の国に対し、日本人はどう向き合うべきなのか。津谷静子理事長(60)に、これからの支援の在り方について聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・井上貴博)

 ―イランへの支援を始めたきっかけを教えてください。
 もともとイランではなくロシアへの支援を考えていました。ウラジオストクで起きた原子力潜水艦の事故で、放射線被害に遭ったという青年の支援です。しかし現地の病院を訪れると「この町で放射線被害は一切ありません」と言われました。原潜は軍事機密だから、全てが伏せられていたのです。国策によって被害が隠される現実に衝撃を受けました。理不尽な被害に苦しむ人が世界にたくさんいて、支援が求められているのに何も力が及ばない。無力感ばかりでした。

    ◇

 ―どうやって気持ちを切り替えたのでしょう。
 もうやめようと思っていたんです。小さな組織で資金も限界でした。でも2004年に広島世界平和ミッションに参加し、イランに行ったことが転機となったんです。サルダシュトという小さなイラク国境の町で、化学兵器の後遺症に苦しむたくさんの被害者に会いました。使用が禁じられるマスタードガスがイラン・イラク戦争で使われ、クルド人の居住区に打ち込まれていたのです。その町に外国人が入るのは初めてで、最初は半信半疑でした。でも目の前に酸素ボンベを抱えて苦しむ人、皮膚がゾウのようにただれた人たちがいました。

 ―そうした実情が全く知られていなかったのですね。
 被害者に何が必要ですかと聞くと「私たちのことを知ってほしい」と。それまで支援といえば注射器や薬を送ることでした。物ではなく「知って」という訴えが胸に染み入りました。世界について私たちは知っているようで、知らされていない現実があるのではないか。国レベルでの支援が難しい被害に、民間が手を差し伸べなければと思いました。

    ◇

 ―その後はどんな支援を。
 帰国後、イランの毒ガス被害者のことを知ってもらうため、広島の平和記念式典に招待することを考えました。同時に日本からの医療支援もしたかった。竹原市の大久野島の毒ガス被害に詳しい故行武正刀先生にお願いし、イランの被害の実態調査も始めました。こうした相互交流は今も続けています。「どうして被害者を広島に呼ぶのが医療支援なのか」と言われたこともあります。でも後遺症の治療は現地では難しい。このため日本での心のケアに力を入れようと考えたのです。家に閉じこもり精神面を患う人々が多くいましたから。生きる力を失っていた人たちが広島を訪れて希望を見いだす姿に手応えを感じています。

 ―なぜ希望なのでしょう。
 「どうして原爆を落とした米国を恨まないのか」。イランで何度も聞かれました。広島は世界から支援を受け、温かい心を寄せられてきたから、恨みつらみを平和への祈りへと昇華できた。そう伝えると皆、表情が変わるのです。原爆を乗り越え、復興を遂げた広島。そこに戦争で傷ついた自分の境遇や町を重ね合わせるのだと思う。戦災や災害で悲しみを背負った人々と交流することが、生きる希望をもたらし「心の薬」になる。それが広島にできる役割だと考えます。

 ―核問題をめぐる交渉が進展したことをどう思いますか。
 イランの人々の暮らしが改善するのはうれしい。経済制裁は深刻で、もう限界だと感じていました。けれど世界は今、一転してイランの石油資源で経済的な利益を得ようとしているように感じます。それだけでいいのでしょうか。長い戦争と制裁で国民は傷ついたままです。この傷痕はお金で解決しません。これからも私たちが手を差し伸べる意義があると思うのです。

つや・しずこ
 新潟県柏崎市生まれ。昭和大薬学部卒。内科医師の夫とともに94年にモーストの会を設立し、ロシアやウクライナなどへの医療支援を始め、04年からイランの毒ガス被害者を支援。著書に「イラン毒ガス被害者とともに」。被爆直後の広島に医薬品を届けた故マルセル・ジュノーの活動を紹介するアニメ「ジュノー」の製作も手掛けた。

(2015年8月26日朝刊掲載)

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