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戦争が奪った若き才能 笠岡で展覧会 「画学生 小野春男と父 竹喬」 子失い「2人分仕事する」

 日本の自然美を詩情豊かに捉えた風景画で知られる笠岡市出身の日本画家小野竹喬(1889~1979年)と、後継と期待されながら26歳で戦死した長男・春男(1917~43年)。戦争が生んだ悲劇を、父子の視点から見つめる展覧会「画学生 小野春男と父 竹喬」が、同市立竹喬美術館で開かれている。若き才能を奪った戦争の愚かしさとともに、わが子を失った悲しみが竹喬芸術に与えた影響を感じ取ることができる。(森田裕美)

 春男の作品を中心に据えた初めての展覧会。びょうぶ図や、絹本に描かれた本画をはじめ、習作やスケッチに、竹喬作品を合わせた計約60点が並ぶ。

 春男は、1940年に京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大)を卒業。41年の京都市美展で入選し、画家として歩み始めたが、42年に召集されて陸軍に入隊。翌43年、中国で狙撃され、亡くなった。

 その画業は、長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」に預けられていたびょうぶの「茄子」以外にほとんど知られていなかった。一昨年、京都の小野宅で下絵や本画が相次いで見つかり、昨年、遺族が83点を竹喬美術館に寄贈。くしくも戦後70年の節目に展覧会として結実した。

独自の画風 模索

 若き日の竹喬を思わせる色彩が美しい「風景(月)」や、美術学校で学んだ成果が見えるオーソドックスな花鳥画や人物画、実験的な色使いや描き味を見せるスケッチなど。主に風景を描いた父を前に、春男が独自の題材や画風を確立しようと模索していた様子がうかがえる。

 会場には、作品とともに見つかった春男の日記や書簡も並ぶ。召集前の2年間に書かれた日記は、若さがにじむ少し拙い文字で、偉大な父への複雑な思いや芸術論、婚約者への思いなどをつづっている。

 絶筆である「女性座像」は、未完成とみられ、カーネーションを手に寂しげな表情の女性。婚約者の「彌生さん」がモデルのようだ。戦地に赴く前、後援者の長男の結婚祝いに贈った作。父・竹喬による添え書きがある。「昭和十七年七月九日息春男臨時召集令状を拝受す 親友常尊氏遠く富山県下より来りて餞送す 談笑のうち偶々常尊氏の婚儀今秋に挙式さるるを聞き春男其出立に際し自作を以て祝意を表さんとし題識を予に請うふ 余欣然として春男に変り茲に其由縁を記す 昭和十七年七月十五日 竹喬生」

「魂が空にある」

 あかね色の空や雲を多くの作品に残した竹喬。本展には、春男をしのんで描いたと思われる「仲秋の月」「月」なども並ぶ。竹喬は戦後、「戦死の報を受け取ったとき、その魂が空にあるような気がした」などとの記述を残している。また「2人分の仕事をする」とも誓う。

 「画家として大成する途上で人生を断たれた春男と、期待をかけた息子を亡くした悲しみを抱えて戦後を生きた竹喬。春男の存在は、竹喬作品を語る上でも欠かせない断片」と徳山亜希子学芸員。丹念な調査に根ざした味わい深い展覧会となっている。9月6日まで。月曜休館。

(2015年8月26日朝刊掲載)

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