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社説・コラム

『潮流』 南京で見た「加害」

■論説委員・高橋清子

 先月訪れた中国・南京市の南京大虐殺記念館は多くの人でごった返していた。戦後70年の夏。国内から連日2、3万人来るという。

 多くの遺体が積み重なった川辺、軍刀を手に捕虜を囲む日本兵…。大判の写真は衝撃的な場面が多い。まとまった遺骨を発掘した状態のまま実物で展示するコーナーもある。

 1937年12月、この地で日本軍がいかに捕虜や市民を殺害し、略奪や女性への性暴力を行ったかを伝えている。忘れるなという強いメッセージを感じた。

 象徴は至るところに掲げられた「犠牲者30万人」との数字だろう。2006年からの日中共同の歴史研究で、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と主張した。30万人を強調する手法はやり過ぎにも映る。

 館内は地元の子どもたちのグループが多く、ある小学生の女の子に感想を聞くと「大きくなったらやり返す」と口にした。記念館の目的は正確な歴史を伝えるためというが、国を挙げた愛国主義教育の一端であることを垣間見た。

 日本の姿勢も謙虚とはいえまい。政府として事実そのものは否定していないのに歴史教科書の多くが虐殺ではなく「南京事件」と記述し、加害色を薄める表現に変更されてきた。民間人への加害行為を否定する政治家も後を絶たない。

 南京大の張憲文・南京大虐殺史研究所長に話を聞いた。虐殺の否定は中国人の感情を傷つけてきたとし、日本が歴史に向き合わない限り、許しは得られないと指摘する。ただ30万人ありきではないという。「事実を認めた上なら日中の研究者同士で犠牲者数についてさらなる検証が可能だ」

 日中とも不毛な応酬を続けるのでなく共同で事実確認をするなど一致点を見いだす調査を急げないか。遠いようで近い、和解への手掛かりとなるに違いない。

(2015年8月29日朝刊掲載)

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