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社説・コラム

キーマンがゆく 童心寺を次世代に語りつぐ会(広島市佐伯区)・久保田詳三会長

戦災孤児の記憶伝承 戦争の不幸 気付くはず

 原爆などで身寄りを失った子どもたちが集団生活した広島戦災児育成所。その一角に「童心寺」はあった。毎朝起床の合図の半鐘が響き、子どもたちの読経が続いたという。「お母さんに会えると信じて懸命だったのだろう」。今はない寺の歴史を伝えていこうと2月、童心寺を次世代に語りつぐ会を結成した。

 寺があった広島市佐伯区皆賀で生まれ育った。小学校時代、寺の前の広場で同級生とキャッチボールをして遊んだ。既に孤児の多くが巣立ち、「原爆や戦争と関連した施設だと意識していなかった」。312人を育てた育成所は1967年に役割を終え、その後、寺も取り壊された。周辺は住宅街に様変わりした。

 転機は昨年、寺跡そばの住民が作った童心寺の紙芝居だった。町内会で完成報告をした際、住民の8割が寺について知らないと分かった。「私も父親から歴史を聞いた程度。こりゃあいけんと思って」

 住民約10人で語りつぐ会を結成。孤児のその後の人生を調べ、関係資料を集めている。「長い間、口にできなかったことも今なら言えると思う」と、育成所の元職員たちを交流会に招いて当時の話も聞いた。

 ことし7月には、舟入高(中区)演劇部が紙芝居を基に創作劇を上演してくれた。その舞台などを収録したDVDを学校に貸し出していく考えだ。「親を失った子どもがどう生きたかを伝えれば、戦争がどんなに不幸なことか気付くはずだ」。そう信じている。(鈴中直美)

くぼた・しょうそう
 1947年、広島市佐伯区生まれ。岡山商科大を卒業後、旧広島県五日市町に入った。広島市との合併後は佐伯区、市観光課、五日市中央公民館などで勤務し、07年に定年退職。現在は区コミュニティ交流協議会や区社会福祉協議会の会長も務める。

(2015年8月29日朝刊掲載)

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