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社説・コラム

社説 国連軍縮会議 被爆地の役割 より重く

 核兵器なき世界への道筋をどう描くか。被爆70年の広島で議論する国連軍縮会議がおととい閉幕した。機運の醸成という点で成果があったといえよう。

 米国のウィリアム・ペリー元国防長官をはじめ23カ国から政府高官や軍縮専門家、非政府組織(NGO)代表らが出席した。被爆地で核の非人道性に触れ、廃絶ヘ向けて討議したこと自体、やはり重い意味を持つ。

 5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂した後、核廃絶の動きが停滞するとの悲観論もあるのは確かだ。しかし核軍縮の「空白期間」をつくってはならない。加えて広島での議論を基に、核兵器禁止条約への流れをつくる一歩としてもらいたい。

 国連軍縮会議は1989年からほぼ毎年、日本で開かれてきたが近年は名乗りを上げる自治体も少なく停滞感も指摘されてきた。今回、第一線で活躍するメンバーが集まって例年になく活発な議論が展開された。被爆70年の節目であることと「広島の重み」ゆえであろう。

 参加者の胸には被爆者の叫びが響いたことだろう。被爆者の梶本淑子さんは学徒動員先で被爆した体験や戦後の差別、後障害におびえる現在を語り、「生きてきた者も地獄。核兵器を廃絶してください」と訴えた。

 核兵器の本質的な問題にあらためて気付かされたのではないだろうか。多くの市民を無差別に殺し、今なお苦しめる兵器が倫理的に許されるのか。人類を絶滅させるのに十分な核で脅し合うことが正常なのか、と。

 ただ同時に会議を通じ、核保有国と非保有国が反目する現状が浮き彫りになったのも事実だろう。非保有国から「核兵器廃絶へ向けた法的規制が必要」と条約化を求める声が相次ぐ一方で、核保有国であるフランス政府の元軍縮大使からは「核抑止の恩恵は多大」との意見も飛び出したのが目を引いた。

 安全保障政策に「核抑止の神話」が今なおはびこる中で、保有国をどう説得していくかが、今後とも問われよう。

 核兵器は抑止のためであり、実際には使われないはず、というのが保有国の言い分だ。しかし現実には幾度も使用の瀬戸際にあったことが分かっている。持つこと自体が人類の脅威であり、回避するためには廃絶しかない、という視座を持つべきなのは言うまでもない。

 今回の会議に参加しなかったロシアは核依存を強める兆候を示し、インドやパキスタンも核戦略の強化や近代化を進めている。テロリストの手に渡るリスクも高まっていよう。だからこそ被爆地の役割はかつてなく重くなるはずだ。

 何より欠かせないのは広島・長崎に各国の指導者を招き、核兵器のむごさを胸に刻んでもらうことだ。その好機の一つが、来年4月、広島市で開かれる主要国の外相会合である。

 5年後のNPT再検討会議を待ってはいられない。核保有国と非保有国の溝を埋め、廃絶に直結する議論が行われるよう、舞台を整えることが必要だ。さらには首脳会合のために来日するオバマ米大統領の広島訪問につなげたい。

 国際世論のうねりをより大きく、強くするために何をすればいいか。被爆地としても行動を再構築すべきである。

(2015年8月30日朝刊掲載)

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