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広島の母親グループ「ポコ・ア・ポコ」 原発事故からママの一歩

 東日本大震災から半年。「このままでいいの?」と動き始めた広島県内の母親グループがある。「poco a poco(ポコ・ア・ポコ)~あったか未来をつくる会」。いまだ収束しない福島第1原発事故は、自分や子どもたちの食生活や健康を脅かす問題―。自分たちにできることを探し始めた母親たちを追った。(森田裕美)

 2児の母、遠藤京子さん(36)=廿日市市=は、インターネットなどで原発事故の情報に触れるたびに衝撃を覚える。放射能が海も山も食べ物も汚染し、子どもたちは外で遊べない…。「自分の子どもたちもそんな状態に置かれたら」と思うと、胸がつぶれそうになる。

 「母親としてこの状況を見過ごすわけにいかない。何かできないかな」。震災直後に友人たちにメールすると、すぐに子育て中の10人が集まった。

 「内部被曝(ひばく)ってどこが怖いん」「子どもは将来があるし、心配よね」…。母親の目線で原発や放射能汚染の現状を学び、子どもの笑顔を守るために行動しようとポコ・ア・ポコの結成を決めた。

 メンバーは、エネルギー政策見直しを県が国に働き掛けるよう求める署名を集め始めた。ホームページで呼び掛け、学校や幼稚園を回り、6月に約5500人分を県に提出。現在は約30人がメールで情報交換しながら、原発に関する勉強会などへの参加を続ける。

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 夫が農業を営む遠藤さんは、もともと環境問題に関心があった。でも原発の反対運動には一線を引いてきた。「子育て中の母親には、日々の生活が大事だったから」と打ち明ける。しかし、フクシマの問題は人ごとではなかった。今、第3子を妊娠しており「衣食住の基本から本当の豊かさとは何か、みんなで考えたい」と話す。

 その思いは、ほかのメンバーも共有している。下岡敬子さん(45)=広島市中区=と、妹の植田綾子さん(42)=呉市。震災以降、ポコ・ア・ポコの活動とは別に、2人でエネルギーの未来を考える映画の上映会やチャリティーコンサートを企画。「原発のない暮らし」について参加者に問い掛けてきた。

 震災前は、激しいデモなど原発の反対運動に違和感があった。日常生活と原発とのつながりも実感できなかった。しかし「私たちの生活はきれいな空気や安全な食べ物があってこそ、と気付いた」と下岡さん。植田さんは「従来の運動スタイルではなく、子育て中の母親だからこそできるアプローチがあると思い始めた」と語る。

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 ただ、広島と福島の距離を感じることもある。「危機感に温度差があり、時折胸が苦しくなる」と話すのは、広島市安佐南区の主婦小野綾子さん(37)。山形市出身で、東北には親も友人もいる。

 子どもの習い事の話題に花を咲かせる周囲の母親に、脱原発の署名を頼むのは「正直、勇気が要る」という。それでも「何か行動したら『実は私も』と共感してくれる人に出会えるかもしれない」と活動を続ける。

 発信すれば手応えもある。デザイナー西川晶子さん(36)=中区=は脱原発を訴えるステッカーを作って販売を始めた。「原発の話を切り出しにくかったママ友が『かわいいね、私も原発のこと気になってるよ』と、ステッカーを買って車に貼ってくれた。うれしかった」と話す。  母親たちは学校給食の食材の安全確保などを求め、地方議会に働き掛ける準備も進めている。これからも動きながら考える。小さな一歩があったかい社会をつくることを願って。

(2011年9月18日朝刊掲載)

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