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平和希求 宗教間で結束 カトリック広島司教区 三末教区長が退任

 1985年からカトリック広島司教区の教区長を務めてきた三末篤実(みすえ・あつみ)司教(75)が23日、定年で退任する。ローマ教皇(法王)ヨハネ・パウロ2世が広島を訪れ、世界に呼び掛けた「平和アピール」から4年後の就任。広島での26年間を振り返ってもらった。(伊東雅之)

 ―最も思い出に残ることは何ですか。 
 被爆地広島の教区長として平和を訴えてきたことだ。教皇の思いを具体化することが使命だと思ってきた。私自身、故郷の長崎で原爆によって親族を亡くし、長崎赴任時代には平和運動を推し進めた経験もあった。

 就任当初、「広島を訪れたい」という海外の司教が多いと知り、教区で招いたことがある。原爆資料館を見学した彼らは一様に衝撃を受け、帰国後、原爆の恐ろしさを伝えてくれるようになった。世界の人々が広島に向ける思いと、広島の発信力を肌で感じた。

 ―宗派を超えた宗教者同士の連帯にも力を注ぎましたね。
 宗教対立が戦争の火種になることも多く、宗教者の連帯は平和の実現に欠かせない。広島県宗教連盟理事長時代に神道、仏教、プロテスタントなど加盟宗派の親睦会を増やした。バチカンや東南アジア諸国への平和巡礼など新たな取り組みも生まれ、人間関係が深まったのはうれしい。

 「広島宗教者九条の和」を発足させたのもそうしたつながりが大きい。「平和希求」という普遍的な価値観の下、宗教は結束できることも広島から発信できたのではないか。

 ―四半世紀という時代の流れで教区内の環境も変わったのでは。
 信徒、司祭ともアジア諸国の出身者が増えた。司祭は日本人の志望者が減り、かつて多かった欧米人も引退の時期を迎えたためだ。司祭が多いアジア、アフリカに頼らざるを得なくなっており、現在約10人に増えている。

 韓国、フィリピンからの司祭招聘(しょうへい)は2000年に始まった両国の釜山、インファンタ教区との姉妹交流がきっかけ。過去の日本による侵略行為を謝罪することから始まったが、こうした助け合いにつながり感慨深い。

 ―2006年には世界平和記念聖堂が重要文化財に指定されました。
 世界から支援を受け、被爆から9年後に完成した平和と復興の象徴。老朽化への対応など悩ましい問題もあるが、指定後、修学旅行生らの訪問が増え、平和発信の役割を高めているのは喜ばしい。

 また、2008年の列福式で江戸初期に信仰を曲げず処刑された広島、山口ゆかりの5人が教皇から聖人に準じる「福者」に認められた。私たちの信仰の大きな支えになり、広島教区としても誉れ高い出来事だった。

 ―引退後はどう過ごしますか。
 広島で暮らすつもりだ。26年間の出会いや経験を基に、今後もできることでお役に立てればと思っている。

(2011年9月19日朝刊掲載)

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