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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 宇佐川良さん―惨状描く作品 1点限り

宇佐川良(うさがわ・りょう)さん(84)=広島市西区

地鳴りのような音や臭い。後世に残す責任

 原爆資料館(広島市中区)の収蔵庫に「霊山(れいざん)」と題した油絵が保管されています。炎(ほのお)に囲まれた廃虚(はいきょ)に、裸(はだか)の遺体が積み重なった絵。70年前のあの日、14歳だった画家の宇佐川良(本名良孝(よしたか))さんが白島町(現中区)付近で目にした惨状(さんじょう)を基に描(えが)きました。

 被爆から16年後の1961年の作品で、資料館に寄贈(きぞう)していました。ことし8月下旬、約半世紀ぶりに対面しました。「地鳴りのような音や臭(にお)いがよみがえってくる。二度とあんな情景は見たくない」

 45年春、当時の国鉄に入り、線路補修の仕事をしていました。8月6日朝、昼食の足しにと、同僚(どうりょう)たちと宮島口(現廿日市市)の桟橋(さんばし)でタコ釣(つ)りをしていた時。突然、閃光(せんこう)が視界を覆(おお)いました。爆心地から約15キロ。地響(じひび)きとともに「バーン」という音が聞こえ、広島市の方角にきのこ雲が立ち上るのを見ました。

 上司の指示で「救援(きゅうえん)」のため広島駅(現南区)の北にある東練兵場(現東区)へ向かうことになりました。メンバーは約15人。宮島口から己斐駅(現西広島駅、西区)まで気動車で進み、そこからは線路上を歩きました。

 横川駅(現西区)は駅舎が倒(たお)れ、一帯に火が迫(せま)ります。壊(こわ)れた建物の下から女性の声がしました。「祇園の○○です。助けてください」。バールで柱を浮かせようとしますが、動きません。炎が近づき、立ち去らざるを得ませんでした。あの声は今も覚えている、と言います。

 無言で進む広島駅までの間、「水を…」という、地から湧き出るようなうめき声が四方から聞こえました。動かなくなった母親の乳房(ちぶさ)を探す赤ちゃんの姿も見ました。「地獄(じごく)だった。とにかく腹が立った」。絵に描いたのは、このとき目にした光景です。

 東練兵場に着いたのは昼前でした。次々と運ばれてくる身元不明の遺体を焼却する役に回されました。皮膚(ひふ)がめくれ、性別さえ分からない遺体を枕木(まくらぎ)の上に重ね、重油をかけて焼くのです。「誰がこんなことをした。なぜこんな無残な死に方なんだ」

 丸3日間の作業の後、9日夜、歩いて宮内村(現廿日市市)の自宅に戻(もど)り、「この仕事は辞める」と両親に告げました。職務とはいえ、同じ怖(こわ)さを味わいたくありませんでした。

 タクシーの運転手や印刷屋、大工など仕事を転々と変えた後、20代後半で油絵画家の道へ。今は具象画の全国団体、大調和会の名誉委員を務めています。

 被爆の惨状を描いた作品は1枚だけ。「画家として後世に残す責任を感じたから」ですが、「1点描くのが精いっぱい」と話します。被爆体験は極力思い出したくなかったからです。

 つらい記憶は作風に影響(えいきょう)。「戦争を起こしたのは人間。人間ほど怖いものはない」。そう考え、「人間の後ろ姿、つまり闇の部分を描きたいと思うようになった」。肩(かた)を落として歩く老人を後ろから描いた作品などを多く手掛けました。

 ここ数年、国鉄時代の仲間が相次ぎ亡くなって、「伝えなければ」との思いが強まり、中学校などで被爆体験を語るようになりました。「みんなが隣の人と仲良くしていけば、戦争は起きない」。若い世代に、そう伝えています。(長久豪佑)



私たち10代の感想

向き合う姿胸に伝える

 宇佐川さんは、被爆体験を話したり描いたりすることに積極的ではありませんでした。年齢を重ねるにつれて「今伝えなければ」と思い、話すようになったそうです。つらい記憶でも、それに向き合い、次世代に引(ひ)き継ぎたい、という気持ちを感じました。その思いを胸に、私は多くの人に伝えていきます。(川岸言織、13歳)

語り合い理解深めたい

 「戦争を起こしたのも原爆を落としたのも人間。命を大切にしてほしい」と宇佐川さんは訴(うった)えました。私たち若者には「隣の人と手をつないでぬくもりを感じ合い、平和な社会をつくって」と声を強めました。その言葉に応えなければ、と思います。勇気を持って、いろんな人と語り合い、理解を深めていきたいです。(平田佳子、14歳)

14歳が火葬 衝撃受ける

 今の私より若い14歳で、たくさんの遺体をまとめて火葬した話が衝撃的(しょうげきてき)でした。その時の音や臭い…。普段(ふだん)イメージしないような、体験した人ならではの情景描写(びょうしゃ)でした。宇佐川さんは「二度と見たくない光景」と繰(く)り返(かえ)しました。私たちも見なくて済むように、平和な世界を保っていきたいです。(山田杏佳、17歳)

(2015年9月7日朝刊掲載)

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