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社説・コラム

社説 安保法案審議 これで採決できるのか

 参院で審議入りして1カ月余り。安全保障関連法案について政府・与党は来週にも採決し、成立を目指すという。

 各地で繰り広げられるデモなどに象徴されるように、国民には法案に納得する声は広がっていない。それどころか、審議が進むほど法案の問題点が露呈してきたと言わざるを得ない。

 政府側の答弁が二転三転するなどして審議も滞り、このままでは来週までに衆院並みの審議時間(116時間)を確保するのは難しかろう。

 現状はむしろ安倍政権の側が追い込まれたように見える。自民党の高村正彦副総裁はおととい「国民に十分理解が得られていなくても決めないと」と開き直ったように本音を述べた。5月の国会上程以来、理解を得たいと繰り返してきたのは一体何だったのか。国民の不安や疑問を意に介さず、数の力だけで押し切るのは許されない。

 それにしても参院審議も大詰めだというのに、次々と政府答弁のずさんさが浮かび上がるのはどうしたことか。

 やはり気になるのが国民への説明と異なる見解を堂々と示していることだ。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認の例として邦人の母子を乗せた米艦を描いたパネルを掲げ「日本人の命を守るため米国の船を守る」と訴えてきた。ところが先月になって中谷元防衛相は「邦人が乗っているかいないかは絶対的なものではない」と修正した。

 他国軍を後方支援する際の自衛隊員の安全に関する答弁のぶれも明らかだ。「必要な措置を定める」とした首相の答弁にもかかわらず、「撤退」を含む安全確保の規定が明確に盛り込まれていないことを認めた。

 これに限らず、野党側の追及に対して納得できる説明はないままだ。もう一つのポイントである集団安全保障措置への参加もそうだ。武力行使の新3要件に該当し、国連の安全保障理事会決議に基づけば参加する可能性があると政府側は答弁した。だが集団安保とは多国間の枠組みである。集団的自衛権とは本質的に別次元の概念のはずなのにあまりに強引ではないか。どさくさ紛れに何でもありにしてしまおうという姿勢なら困る。

 こうした論戦から見えてくるのはやはり法案自体が持つ根源的な危うさだ。条文はあいまいな表現にとどめ、時の政権の裁量権が大きいことはかねて指摘されている。その政府の見解がこうまで安定しないなら将来、いかようにも拡大解釈されかねないという不安を国民が感じたとしても無理はない。

 違憲か合憲かの議論も残ったままだ。政府は「合憲」とする一方、最高裁の山口繁・元長官が砂川判決を根拠として集団的自衛権の行使を認める立法について「憲法違反」と切って捨てたことを重く受け止めたい。

 首相はきのう「分かりやすく丁寧な説明を行う」と述べたが現実の動きを考えると詭弁(きべん)としか思えない。高村副総裁の言葉通り審議の中身にかかわらず前に進める構えだ。きょうの参考人質疑など採決環境を整える動きが今週、加速しよう。

 今こそ立ち止まる時だ。「良識の府」とされる参院の存在意義がまさに問われる。採決を見送り、今国会での成立を断念することが、多くの国民の声に応える道にほかならない。

(2015年9月8日朝刊掲載)

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