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連載・特集

「広島・長崎 被爆70周年 戦争と平和展」に寄せて 広島県立美術館学芸員・山下寿水

作品の「顔」に着目 イメージを膨らませ 記憶継承につなぐ

 原爆が投下されてから70年を迎える今夏、広島県立美術館(広島市中区)では、長崎県美術館との共同企画で「戦争と平和展」を開いている。本展では、ナポレオン戦争の時代を始点とし、美術作品として描かれてきた「戦争」をたどりながら、戦争と対極にある「平和」の尊さを照らし出そうと試みている。

 出品作品を一堂に眺めると、芸術家が戦争を表現する際、いかに「顔」の描き方に苦心したか、確認できるのではないかと思う。たとえば、スペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤによる版画「戦争の惨禍」(1810~14年)では、ゴヤの同胞であるスペインの民衆の表情は苦悶(くもん)に満ちているが、彼らに切っ先を向けるナポレオン軍の兵士の相貌は、全く見えないように描かれることで、無慈悲・無感情の象徴として扱われ、二者の距離感が強調されている。

 いわば、人となりを示すものとして「顔」はしばしば用いられる。阿部合成は「見送る人々」(1938年)で、中国へ出兵する兵士を見送る人たちの顔貌を画面いっぱいに描いている。そこには歓喜・応援する人たちが描かれる一方で、そうした現実を冷めた目で眺める人たちもいて、戦時下といっても単一的な見方に統一されていたわけではないことが確認できる。

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 また、被爆直後、中国新聞社記者であった松重美人は「苦しむ被写体に向き合うことは、それ自体が困難であった」として、被爆者の「顔」に注視して撮影することはできなかったという。木村権一による写真「着物の柄が皮膚に焼きついた女性」は、着物の柄を転写するように、くっきりと網目状のやけどが残っている女性の背中を撮影したもので、ここにも女性自身の顔は写されていない。しかしそれゆえ私たちは、撮影者や被写体の心情に、想像を寄せることができる。

 丸木位里・俊による「原爆の図」の第3部「水」(50年)の画面左側には、無残にも山積みにされた死者たちが描かれている。苦痛に満ちた人たちの顔が見えないように、足を外側に向けるように積まれていたため、彼らの顔を見ることはできない。一方、画面中央には、焼けて水ぶくれした妻の顔が分からず、水の中から一人一人を抱き上げながら、妻を捜し続ける男性の姿が描かれている。

 画家や写真家が何を見つめようとしたか。「顔」の表現に着目しながら作品を眺めることで、より「戦争」が蹂躙(じゅうりん)したものの生々しいリアリティーを感じることができるかもしれない。

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 本展の最後に展示している写真家の石内都による作品は、原爆資料館(中区)に収蔵されている被爆衣服を撮影したもので、当然、「顔」自体は写されていない。だが、石内が表現しようとしているのは、戦時下でありながら、可能な限りきれいな衣服をまとい、生活の内にささやかな楽しみを見いだそうとした人たちが、原爆が落とされるまでは確かにそこにいた、という事実にほかならない。

 70年という歳月が経過し、いかに被爆の実相を後世に継承するかが広島・長崎では現実的な問題となっている。イメージの力によって、直接的に戦争・原爆を体験していない者にも、そこにいた誰かの「顔」を想起させ続ける―。それこそが美術作品によって可能となる、一つの記憶の継承の方法ではないだろうか。

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 「戦争と平和展」は、広島県立美術館などでつくる実行委員会と中国新聞社の主催。13日まで。

(2015年9月5日朝刊掲載)

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