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連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 高まる反核機運 1982~83 

「人類の危機」 19万人集結

 地域紛争で核が使用される「限定核戦争」への危機感が高まり、欧州各地で反核運動が広がりを見せていた1982年。被爆地広島で3月、世界に核廃絶を訴える3・21反核集会が開かれた。「82年・平和のためのヒロシマ行動」と題し、平和記念公園など市内6カ所が会場となった。

 「これ以上の核軍拡は人類の危機につながる」。その思いでつながった人たちが集結。実行委員会によると目標の20万人に近い約19万4千人が全国から参加したという。従来の原水禁運動にはなかった若者や親子連れの姿が目立ち、新しい平和運動のうねりが芽生えた大会でもあった。

 若い世代もヒロシマの願いの継承に動いた。元安川沿いでの原爆犠牲ヒロシマの碑の建立は、原爆瓦の発掘運動に携わった高校生の呼び掛けがきっかけ。県内外の小、中学生たちが建設募金に応じた。一方、ヒロシマの証人だった相生橋と横川橋は大きく姿を変えた。

 国内では、82年2月、ホテルニュージャパン(東京)で死者33人を出す火災と日航機の羽田空港沖墜落事故が続いた。83年9月には大韓航空機がサハリン周辺で旧ソ連軍戦闘機に撃墜される事件が起こった。(村上昭徳)

(2015年9月9日セレクト掲載)

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