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若杉慧の未発表原稿 峠三吉保管 原爆ドーム保存望む

 小説「エデンの海」で知られる広島市出身の作家若杉慧(1903~87年)が、原爆投下3年後に爆心地周辺を訪れてつづった自筆原稿が、見つかった。若杉の教え子である詩人峠三吉(1917~53年)が残した資料に含まれていた。原稿は未発表とみられる。復興の姿を作家の視点で切り取り、廃虚となった広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の将来的な保存を望む気持ちもにじませている。

 「爆心地をめぐって」と題したルポルタージュ風の文章で、400字詰め原稿用紙20枚。「兄」と「弟」の会話形式を取り、現在の平和記念公園(中区)周辺の印象が書かれている。

 兄弟が廃虚のドームに差し掛かる場面では、兄が「この建物だけは永久にこのまま手をつけないで破壊のままに残して置きたいもんだね。(中略)今日の被害の痕跡はどこにも見られなくなってからでも、いやそうなればなるほど、この建物は象徴的な意味で残るよ、きっと」と語る。また復興のつち音を聞き「新しい時代を踏み出す足音の象徴だ」と断言する。

 原稿の執筆は、峠らが48年に創刊を準備していた総合誌「ひろしま」に掲載するため依頼を受けた。若杉はいったん断るが、再度の依頼に応じ同年3月28日、市中心部を峠の案内でめぐって4月に書き上げた。

 「ひろしま」は同年6月に創刊。作家の故阿川弘之氏らの作品が掲載されたが、用紙不足などで創刊号だけで発刊中止となり、若杉の原稿は未掲載だった。

 若杉の資料約1万点を所蔵する広島市立中央図書館によると、若杉のノートには当時の取材メモが記され、手帳に同年4月12日付で「爆心地をめぐって、発送」とある。峠が若杉の原稿を受け取り、原稿料を支払った明細書も残る。ただ、原稿の所在は分からず内容も不明だった。

 7月に峠のおいの峠鷹志さん(76)=東京都=から広島文学資料保全の会に託された峠関連資料約100点の中にあった。同会の池田正彦事務局長(68)は「被爆間もない時期に原爆ドームを残そうと記すなど、若杉の先見性がうかがえる貴重な資料」としている。(石井雄一)

(2015年9月10日朝刊掲載)

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