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心に刻む 女性の戦争 関東の10・20代 長崎から広島への旅 被爆証言聞き取り「二度と繰り返さない」

 若い女性たちが、太平洋戦争中に原爆投下や空襲を経験した女性から体験談を聞き、命の大切さを見つめ直す日本赤十字社(東京)のプロジェクトが今月、両被爆地を結び開かれた。関東地方の3人が長崎から広島まで10日間の日程で移動し、被爆者らに会う旅。広島市では、女学生や看護学生の時に被爆した3人の話す「あの日」の記憶に耳を傾けた。(山本祐司)

 参加者は、東京都世田谷区の会社員岡田雪清(ゆきよ)さん(25)、茨城県取手市の大学3年山下美咲さん(21)、東京都町田市の大学1年前田幸乃さん(19)の3人。福山市出身の岡田さんをのぞく2人は、初めて被爆証言を聞いた。

 「命は一番大事なもの。戦争は絶対にしてはいけない」。広島ファッション専門学校(広島市中区)の一室で、校長の戸谷清子さん(86)はこう訴えた。当時は広島県立広島第二高等女学校4年生。たばこ製造に、学徒動員されていた。原爆の爆風で機械の隙間に吹き飛ばされたが、軽傷だった。

 建物疎開の作業中に被爆し、大やけどを負った下級生たちを救護。髪はちりちりになり、顔は腫れて人相も分からない。「水が欲しい」「お母さん」と言い残して逝った彼女たちの言葉が脳裏に焼き付く。どうして、希望ある人たちが死ななければならないのか―。戦後、困難にぶつかっても、彼女らのつらさを思い浮かべると乗り越えられた。そして服を作り、人を喜ばせる仕事に励んだ。

 若者3人は、涙ながらに当時を振り返る戸谷さんの話に心を震わせた。ほかにも、広島赤十字病院で被爆者治療に駆けずり回った、当時看護学生の女性2人にも会い、「まるで戦場だった」現場を想像した。

 男性が戦地に赴く一方、女性は国内で主要な働き手になり、「銃後の守り」となった。戦場だけではなく、国内でも女性が戦争被害に苦しんだ事実を、現在の女性に知ってもらおうと被爆・戦後70年を機に日赤が初めて今回の旅を企画。長崎市でも被爆者と会い、被爆クスノキや片方の柱が吹き飛んだ鳥居の残る山王神社などを見学。鈍行列車を乗り継ぎ、八幡市(現北九州市)の空襲に遭った女性からも話を聞いた。

 3人は「当時は今のようにおしゃれや恋を気にする時代ではなく、命を守ることが全てだった」「正しいことを見極める力を身につけたい」「70年前のこの悲劇を自分の子どもにも伝え、二度と繰り返さないようにしたい」と感想を述べた。企画した日赤の佐藤知和主査は「受け取った平和の種を3人がどう広められるか、今後もサポートしたい」と話していた。

(2015年9月15日朝刊掲載)

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