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連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 ヒロシマを世界にアピール 1984~85 

被爆地発 核廃絶の願い

 1985年8月5日、被爆40年の広島を舞台に「第1回世界平和連帯都市市長会議」が始まった。当時、欧州では、東西陣営の核の緊張が高まり、第三世界では紛争が多発。核兵器の廃絶に向け、海外22カ国の67都市と国内の98都市が参加した。

 首長たち約200人は原爆慰霊碑に参拝し、原爆資料館も見学。被爆者40人から40年前の惨状や後遺症の苦しみなどを聞き、被爆の実態に触れた。参加者は「米ソの指導者こそヒロシマに来るべきだ」と述べた。最終日の6日、世界の都市が連帯して取り組む目標を盛り込んだ「広島アピール」を全員一致で採択し、長崎に会場を移した。

 84年には、後にノーベル平和賞を受賞するジミー・カーター元米大統領や既に同賞を受賞していたマザー・テレサが相次いで平和記念公園を訪れた。カーター氏は原爆慰霊碑前で平和アピールを発表し、平和の推進と核兵器の削減を訴えた。

 84年3月、初の劇場型犯罪といわれる「グリコ・森永事件」の発端となる江崎グリコ社長誘拐事件が発生。85年8月には、日航ジャンボ機墜落事故があり、520人が犠牲となった。(村上昭徳)

(2015年9月16日セレクト掲載)

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