証言　記憶を受け継ぐ

<div style="font-size:126%;font-weight:bold;">松本（まつもと）トキエさん（８６）＝広島市安佐南区</div><br> <div style="font-size:106%;font-weight:bold;">真っ暗になり倒れた。救護したくてもできず</div><br> 　松本（旧姓上原）トキエさん（８６）はあの時、爆心地から約８００メートルの広島市三川町（現中区）にいました。米軍のＢ２９爆撃（ばくげき）機の音が大きくなり、空を見上げた瞬間（しゅんかん）、真っ暗になり、何かに後ろからたたきつけられるように倒（たお）れたのです。「何も分からない。ピカもドンもなかった」 <br><br> 　当時１５歳。看護師をしていました。１９４５年８月６日は建物疎開（そかい）作業の救急看護当番として、住（す）み込（こ）みで勤めていた病院近くの堺町（同）から三川町に来ていました。肩（かた）にかけたかばんに入っていたのは赤チン、包帯、ピンセット２本だけ。原爆が落とされたのは、赤十字の旗を持ち、５列に並んだ２列目で町内会長の注意事項（じこう）を聞いている時でした。 <br><br> 　少しずつ視界が明るくなると、後ろにあった石壁（かべ）が倒（たお）れ、３～５列目の人は下敷（したじ）きに。松本さんも下半身を挟（はさ）まれましたが、石壁が防いでくれたのか、やけどはなく、両腕（りょううで）の擦（す）り傷（きず）だけでした。 <br><br> 　何とか逃（に）げようと必死でした。やっとの思いでようやく石壁からはい出すことができました。白いズボンは、壁につぶされた人の血液や肉片でどろどろ。挟まれている人たちを引っ張り出しました。靴（くつ）がなくなり、亡くなった人のを履（は）いて、燃え広がる火を避（さ）けるように周りの人と一緒（いっしょ）に走りました。 <br><br> 　行く当てはなく、どこを進んでいるのかも分かりません。気がつくと、見覚えのある場所にいました。比治山の旧御便殿（ごべんでん）でした。そこにいたのは、やけどで体中の皮がむけた人、服が全て焼けて地面に座（すわ）り込む人、足の指がぶら下がりうなり声を上げる人。救護したくても、どうにもできませんでした。 <br><br> 　比治山を越（こ）えて南蟹（かに）屋町（現南区）の自宅に戻（もど）り、両親と再会しました。原爆投下から時間がどれだけたったか分かりません。「皆（みな）を振（ふ）り捨（す）てて来た」と大声で泣（な）き叫（さけ）びました。 <br><br> 　自宅も一部、屋根が吹（ふ）き飛（と）んで壊（こわ）れていました。そこでは暮らせないため、大八車に乗せられ、母ミヤノさんの実家がある伴（とも）村（現安佐南区）へ一晩かけて行き、土壁の蔵に落ち着きました。その後、１カ月くらいは意識がもうろう。髪（かみ）は全て抜（ぬ）け落（お）ちました。変わり果てた姿に、疎開先から戻ってきた６歳下の妹カズコさんが「あれは誰（だれ）」と尋（たず）ねた、と母から聞きました。 <br><br> 　終戦後、看護師に復帰しました。そこで耳にしたのは被爆者への差別でした。「健康な子どもを産めない」「がんや白血病になる」。結婚（けっこん）し、初めて妊娠（にんしん）した時、流産しました。親戚（しんせき）から「原爆に遭（あ）っているからでは」と言われ、心を痛めました。それでも２人の子宝に恵（めぐ）まれ、今では孫も４人、ひ孫も１人。「人は良いように考えればどうにかなる。くよくよしないことにした」。看護師の経験で培（つちか）った前向きな気持ちで乗り越えました。 <br><br> 　「思い出したくもない」と、被爆体験を話したことはありませんでした。しかし乳がんを患（わずら）ったのを機に、７１歳の時に手記にまとめ、きょうだいや子どもたちに見せました。 <br><br> 　被爆７０年が過ぎた今も、あの日の記憶（きおく）は色あせません。「戦争は嫌（いや）。幸福な生活が途端（とたん）に一変する」。ことし、手記を書き直しました。４回目の修正です。こう締（し）めくくりました。「戦争のテレビを見ていると昨日のことのように思う。（中略）二度と戦争はしないと天に向かって皆で叫（さけ）びたい」（川手寿志） <br><br> <br clear="all"> <div class="photoBox"> <div class="gallery"> <div class="img"> <video width="320px" controls preload="none" controlsList="nodownload" oncontextmenu="return false;" src="https://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/moviemp4/150921a.mp4" poster="https://testwww.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/movieswf/heiwa_logo.jpg"></video> </div> </div> </div><br clear="all"><br><br> <div style="font-size:106%;font-weight:bold;">私たち１０代の感想</div><br> <strong>爆心地近くの証言　驚き</strong><br><br> 　松本さんは、僕が証言を聞いた中で最も爆心地に近い所で被爆した人でした。原爆投下の時「ピカ」も「ドン」も分からなかったそうです。光の後に音が来た証言しか聞いたことがなく、驚（おどろ）きました。 　戦争は絶対にしてはいけません。いろんな取材をして記事にすることで、戦争はいけないと発信し続けたいです。（中２鼻岡寛将） <br><br> <strong>看護師の姿に力感じる</strong><br><br> 　自身も原爆症で髪（かみ）が抜（ぬ）けていたにもかかわらず、看護師として働き、患者（かんじゃ）を救った松本さん。大きな力を感じました。 　また、今回初めて証言した理由が、私たち若者の考えに関心を持ったからと聞いて、とてもうれしかったです。証言を聞いて多くの人に伝える活動に、もっと力を入れて取り組みます。（高２新本悠花） <br><br> <strong>御便殿（ごべんでん）</strong><br> 　日清戦争（１８９４～９５年）中、広島市で臨時帝国議会が開かれることになったため設けられた天皇の休憩所。大本営とともに広島城内にあったが、９５年、市に払い下げられ、１９０９年に比治山に移築された。原爆で焼失した。 <br><br> （２０１５年９月２１日朝刊掲載）