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社説・コラム

『潮流』 満州移民という安全神話

■論説主幹・佐田尾信作

 戦後70年、古い取材の記憶が折に触れてよみがえる。「移民」取材班に加わって旧満州(中国東北部)を3週間旅した夏のこともそうだ。24年前になる。

 もはや肉声は聞けまいと思う人たちを思い出す。戦後も日本人として異郷に暮らした「中国残留婦人」と呼ばれる女性たちである。「大陸の花嫁」と祝福されて開拓団に嫁いだものの、敗戦とソ連侵攻で家族は離散、生き抜くために中国人の妻になった。それまでは未婚の娘だった人もいた。

 黒竜江省牡丹江市の下町に訪ねた元助産師の岡光ハルエさんは大陸の花嫁の一人。広島県甲山町(現世羅町)生まれで当時77歳だった。夫と子ども3人の開拓団の平穏な暮らしが一転、流浪の身となったが中国人の夫に命を救われる。

 敗戦の話となると「アイヤー、(日本の)軍隊が一番先に逃げたです」と語気を強めた。捨てられた恨みを決して忘れていない。

 満州移民は国策だった。それにしても、戦況が悪化してなお、人々を異郷に向かわせたものは何か。

 知人の二松(ふたまつ)啓紀(ひろき)・京都新聞記者がこの夏出した「移民たちの『満州』」(平凡社新書)に「安全神話」という一語を見つけた。むろん原発のことではない。

 京都府の開拓団を長く取材する二松記者は「多くの人が戦争という『終末』を実感するにつれ、満州という新天地をより強く求めていく」と指摘した。そこには空襲や本土決戦の不安がなく、食糧難もない―。員数合わせで嫌々、という人も多かっただろうが、そういう神話はあったのだ。

 かの地は「王道楽土」ともてはやされた。だが背中合わせの「苦界」に多くの日本人は気付かなかった。

 わが足元を耕して楽土とする。はやりの「里山資本主義」ではないが、そんな当たり前の感覚をなくさないこともまた、移民の悲劇の教訓ではないだろうか。

(2015年9月26日朝刊掲載)

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