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反原発・反戦貫く 関係者悼む 福島菊次郎氏が死去

 反原発や反戦、反差別の信条を貫き、社会の課題にレンズを向け続けた福島菊次郎さんの訃報を受けて25日、親交のあった人たちに悼む声が広がった。

 60歳を超えて東京を離れ、山口県周防大島町に移り住んだ福島さん。上関町で1982年に表面化した上関原発建設計画に反対する祝島を、計画浮上直後から撮るようになった。30年来の交流があった、上関原発を建てさせない祝島島民の会の山戸貞夫前代表(65)は「権力に対する憤りは激しい一方、われわれにはいつも優しく、仲間でもあった」としのぶ。

 晩年は柳井市のアパートのベッドで一日の大半を過ごした福島さん。親交の深かった写真家の那須圭子さん(55)=光市=は「安全保障関連法の成立直前、『みんな戦争なんて始まらないと思っているだろ。でも始まるよ』って警鐘を鳴らしていた」と話す。

 千葉県松戸市に住む長女川﨑紀子さん(59)は、24日夜に柳井市内の病院で最期をみとった。「いつも前向きでぶれない父だった。若い人が遺志を継いでくだされば」

 経営する広島市内の映画館で「ニッポンの嘘」を上映し、ゲストに福島さんを招いた蔵本順子さん(64)は「報道写真家としての激しい生き方と、愛犬との穏やかな暮らし。それが一つの人格に同居している偉大さを感じた」と言う。

 「口先ではなく、生きざまがジャーナリストだった」。広島で学生時代を送り、福島さんの仕事に触れてきたジャーナリスト土井敏邦さん(62)=横浜市=は敬意を込めて悼む。

 初期の代表作「ピカドン」で福島さんが撮った被爆者男性の孫(54)=広島市中区=は「被写体となった家族には複雑な思いもあるが、あの時代に告発すべきことを告発した人」と語った。(道面雅量、井上龍太郎)

(2015年9月26日朝刊掲載)

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