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社説・コラム

天風録 「菊次郎の海」

 亡き人に「みきさん」と声をかけますと口からあわが出てきました―。吉村昭さんの小説「三陸海岸大津波」から、昭和8年大津波を知る人の回想を拾う。親しき友だったからです、と作家は聞き出した▲訃報が届いた福島菊次郎さんも、戦前の周防灘を覚えていた。ある時、機帆船十数隻が難破。妻が泣きすがると、遺体はどっと血を吐く。身内に安心したんじゃ、と祖母に教わった。生と死の不思議を漁師の子は知る▲戦後の写真家人生の根っこに、そんな海があったのだろう。島々には乾燥芋を腹の足しにする幼子がいて、「遺族の家」の表札に耐え忍ぶ媼(おうな)がいた。沈んだ戦艦陸奥(むつ)の兵隊の遺骨は山海に。それを臆さず撮ってきた▲大震災の後の福島に赴き、東京で反原発デモを取材したのは90歳の年だった。カメラを構えた低い姿勢からよろけたことも。おじいちゃん大丈夫ですか、と警官に気遣われた。反骨の人も苦笑していた、と伝え聞いた▲僕が孤高の写真家だというのは虚像―。10年前の取材の締めの一言を思い出す。祖母をはじめ人々に支えられて今があるという意味で。膨大なネガを後世に残す道筋もついた。お疲れさま。彼岸の海辺でしばし休んで。

(2015年9月27日朝刊掲載)

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