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社説・コラム

『潮流』 演説のすゝめ

■論説委員・田原直樹

 もし自分ならば、緊張でしどろもどろに違いない。そう思うと、子どもたちが一層まぶしく見えた。

 中学生による「少年の主張」広島県大会があった。

 部活動で挫折して学んだことや学校生活での頑張り、社会への疑問、そして将来の夢。壇上から熱く訴えかける。ときに手ぶりや表情をつけ、はきはきと。話す速さや間のおき方も練習したらしい。どの弁舌も率直で、爽やかだった。

 中でも被爆体験を聞き取る意義と難しさを語った生徒が聴衆を引きつけた。

 ある被爆者の反応に、相手を傷つけたと悩む。今も抱える心の傷を思い、質問の仕方を反省し、再び決意する。あの日の記憶を受け継ぐ―。最優秀に輝いた。

 「わが思うところを人に伝うるの法」。演説の大切さを、福沢諭吉は「学問のすゝめ」で説くが、まさに中学生の弁論は「了解すること易くして人を感ぜしむるものあり」だった。

 明治に入って日本にも国会の開設を求める世論に、福沢はくぎを刺す。「たとい院を開くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし」

 その議会ができて百数十年。平成の国会議員ならばスピーチや討論のレベルも上がっているはずだが…。

 この夏、安保法制をめぐる議論は衆参両院で200時間以上に及んだ。だがその弁舌は「理解すること難しく、国民を納得させるものなし」ではなかったか。

 質問をはぐらかしたり、同じ説明を繰り返したり。「私が言うんだから間違いありませんよ」と、説得力を欠く主張や、やじまで飛び出す始末に、あきれた。

 IT時代というが、生身の人間同士で考えを伝え合う力が弱っているのでは。「少年の主張」大会の講評で、審査員長は中学生に呼び掛けた。「日本の未来は皆さんにかかっている。言葉を鍛え、磨き、思いを伝えられる人に」と。

(2015年10月3日朝刊掲載)

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