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被爆後、走り続けた路面電車 鉄道史学会員の長船さん冊子作成 単線運行の努力紹介 広島

 広島に原爆が投下された後の約5カ月間、広島電鉄が路面電車の運行本数を確保するのに苦心した様子を、鉄道史学会員の長船友則さん(82)=広島市安佐南区=が冊子「原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移」にまとめた。広島市内の一部書店で販売している。(馬場洋太)

 広電の社史などによると、被爆3日後の8月9日に己斐―旧天満町(天満川西詰め)、10月11日に小網町―広島駅前が単線で復旧した。長船さんは「電車のすれ違いができない単線での運行だと、運転間隔が長くなり過ぎて利便性が確保できない」と疑問に思い、調査を始めた。

 当時の写真や新聞記事、鉄道愛好家の同好会誌などで検証。広島駅前、小網町、宇品の3方向からの線路が集まる紙屋町で、すべての電車が折り返し運転していた様子がうかがえた。

 長船さんは「乗り換えの不便さと引き換えに運行本数を確保したのでは。紙屋町折り返しは、複線の復旧工事が完了した後の翌年1月6日まで続いた」と推測。「被爆後に車両や人手が足りない中、なんとか市民の期待に応えようとした努力がうかがえる」と話している。

 冊子には、戦時中に多くの停留所が休廃止されたり、人手不足で女学生が運転して最高速度が時速20キロ程度に制限されたりした逸話なども盛り込んだ。

 A4判、58ページ。1080円。あき書房Tel082(255)1916。

(2015年10月3日朝刊掲載)

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