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ウィーン 親善の演奏響く 広島の訪問団 平和願い市民交流

 オーストリアの首都ウィーンを訪れた広島の親善訪問団(吉中康麿団長、20人)が被爆石の平和モニュメントのある同市16区のフェスティバルに出演し、広島ジュニアマリンバアンサンブル(浅田三恵子主宰)の演奏などが喝采を浴びた。2009年のモニュメント設置以来、手作りの交流を重ねてきた関係者は「音楽の感動を共有するなど純粋な市民レベルの交流こそ平和の原点」との思いを強めている。(客員編集委員・冨沢佐一)

 「フィガロの結婚」序曲や「心と心で」…。曲ごとに割れるような拍手と歓声が湧いた。同アンサンブルの小中学生10人がマリンバと打楽器で表情豊かに合奏。法被や南米の衣装などで早変わりしながらパフォーマンスを繰り広げると、聴衆の表情は驚きから感動へと変わった。

 あいにくの雨のため当初は30人程度だった客席用テントに次々と人が集まり、演奏が終わると「アンコール」の大合唱。主催した16区のフランツ・プロコップ区長もマイクで促し、アンコールは3曲に達した。筝生田流宮城社の立川淑恵師範による琴の演奏や訪問団全員の合唱もあり、75分の出演時間を大きく超えた。

 終了後、プロコップ区長は急きょ訪問団を区役所に招き、飲み物などでねぎらった。「フェスティバルで、これほど感動したことはない。音楽はいろいろな国をつなぐ大使だ。私も広島を訪ねて再び演奏を聴きたい」。同アンサンブルの上田龍聖君(13)=広島市立戸坂中2年=は「音楽の国でこれほど喜んでもらい感激です」と話す。

 訪問団は、その前日、同市内のMIMウィーン音楽芸術中学高校で交流会に臨み、大きな反響を呼んだ。モニュメント設置や、その後の交流に関わってきた広島オーストリア協会運営委員の田中勝邦さん(71)は「ウィーンも第2次世界大戦で大きな被害を受けた。市民は平和を願っており市民交流こそ重要だ」と力を込めた。

 ウィーンとの交流は、16区出身の児童文学者カール・ブルックナーが、12歳で亡くなった被爆者佐々木禎子さんを描いた「サダコは生きたい」がきっかけとなった。09年、旧広島市役所の敷石だった被爆石で16区役所前の広場にモニュメントを設置。毎年開かれているフェスティバルに、広島からの訪問団や在留邦人が出演し、平和の大切さを訴えてきた。

(2015年10月5日朝刊掲載)

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