×

ニュース

シベリア抑留 刻んだ辛苦 画家の故四国五郎さん はがきなど新資料 広島 市民有志 12日公開

 戦争や原爆への怒りを被爆地から絵筆に託し続け、昨年3月に89歳で亡くなった画家四国五郎さんのシベリア抑留体験を伝える資料が、相次いで見つかっている。四国さんの戦後を方向づけた志と抑留の実情を知ってもらおうと、市民有志が12日から広島県民文化センター(広島市中区)で開く「四國五郎のシベリア抑留記」展で公開する。(森田裕美)

 四国さんは1944年に徴兵され、3年間にわたるシベリア抑留を体験。栄養失調と凍傷で死線をさまよった。48年に帰国、最愛の弟の被爆死を知った。その後は市役所に勤めながら49年創刊の詩誌「われらの詩(うた)」に峠三吉らと参加、55年には広島平和美術展を創設した。詩や絵を通じ、反戦の思いを訴え続けた。

 今回新たに見つかったのは、引き揚げ直前に旧ソ連から家族に無事を知らせたはがき、引き揚げた舞鶴(京都)に届いた兄からの返信など。四国さんがシベリアから持ち帰った飯ごうも、遺族が同市内で遺品を整理中に確認した。

 家族宛てのはがきには、まだ弟の死を知らず「オマヘガイヘノチュウシンニナッテガンバッテヰテクレルコトヽオモウ」との記述もある。飯ごうには、戦時中所属していた部隊名やシベリアの収容所とみられる建物の絵、50人を超える戦友の名前が刻まれている。上からペンキを塗り、「隠し住所録」にしていたという説明書きのメモもあった。

 同展は、市民有志が4月に開いた追悼・回顧展の続編と位置づけ、シベリアでの過酷な体験を描いた水彩画や素描を中心に60点以上を展示。四国さんが現地で手作りしたリュックサックや履いていた靴なども並ぶ。シベリアでの極限の生活や弟の死を知った時の衝撃を記した回想録も、朗読付きの映像で紹介する。

 長男の光さん(59)は「自らの体験を記録し伝えようという父の執念が伝わる。極寒や飢え、死への恐怖、外国文化との出合いなど、多様な表現で立体的にシベリアでの強烈な体験を伝えてくれる」と話す。

 18日まで(12日は午後1時開会)。無料。

(2015年10月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ