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連載・特集

基地のまちは今 岩国爆音訴訟判決を前に <上> 鳴りやまない空

軽減の期待 裏切られ 移設後ルート多様化か

 米海兵隊と海上自衛隊が共同使用する岩国基地(岩国市)の騒音被害をめぐり、周辺住民654人が国に夜間・早朝の飛行や米空母艦載機移転の差し止め、損害賠償などを求めた岩国爆音訴訟の判決が15日、山口地裁岩国支部で言い渡される。2009年の提訴から6年。滑走路が沖合に移設された岩国基地の騒音に対する初の司法判断を前に、被害の現状や在日米軍再編との関わりをみる。

 「滑走路が沖出しされれば騒音は軽減されると期待していたのに。裏切られた気持ち」。岩国基地のそばで暮らす原告の流田信之さん(71)=岩国市旭町=は、頻繁に機影が横切る自宅の窓から青空を見やった。

 基地のフェンスからわずか150メートルの距離に1978年から暮らす。航空機騒音の指標「うるささ指数(W値)」が90の区域で、国が補助する住宅防音工事の対象範囲だ。提訴翌年の10年に滑走路が約1キロ沖出しされた後も「威圧感ある軍用機特有の音の聞こえ方はほぼ変わらない」という。

 窓には防音サッシが取り付けられているが、頭上から響く米軍機のごう音は日常的に電話での会話を遮り、テレビの音をかき消す。特にひどかったのは08年に膵臓(すいぞう)がんの手術をし、退院して療養していたとき。「横になっても寝付けなかった。安静とは程遠く、苦痛だった」と振り返る。がんは肺に転移した。今も治療に励む。

 国による滑走路沖合移設事業は県や地元の長年にわたる要望の末、実現した。移設前後の騒音測定結果の比較で、10~13年度の平均W値が市内全17カ所の測定点で06~09年度を0・3~10・1下回ったことから、国は「騒音は大幅に減少した」とする。だが周辺に住む原告の多くは聞こえ方に変化を感じていない。

 基地から約1・5キロの同市尾津町に住む原告の吉岡光則さん(69)は、沖合移設後に騒音の記録をつけ始めた。手のひらサイズのノートに、米軍機の姿形や飛んだ方角、騒音の程度などを書き込む。「5:40 エンジン音とどろき、目が覚める」「8:15 プロペラ機の低周波音が脳に響く」―。もう9冊目になる。

 ことし5月21日には「13:40 岩国駅上空 縦横無尽 時折、大音響」と記した。この日、市には米軍機とみられる航空機騒音の苦情が125件寄せられた。1日の件数では沖合移設されてから最多だった。

 国と山口県、市、米軍でつくる岩国日米協議会は市街地上空をできるだけ飛行しないと確認しているが、守られていないのが実情だ。市の照会に基地は「任務遂行上、不可欠な通常訓練」とだけ答えた。吉岡さんは「移設後、傍若無人な飛び方が目立つ」と感じ、基地監視団体も飛行ルートが多様化したとみる。

 新滑走路は墜落の危険性除去や騒音軽減が目的のはずだった。完成前の06年、岩国基地は米海軍厚木基地(神奈川県)の周辺で騒音をまき散らす空母艦載機移転の「受け皿」とすることで日米が合意。住民の不信感の増幅が提訴へとつながった。「平穏な生活を守るために声を上げることの大切さを、市民がより意識する節目になるはず」。岩国で初めて下される判決の意義を、吉岡さんはこう話す。(野田華奈子、増田咲子)

岩国基地の滑走路沖合移設
 1970年代からの官民の運動を経て、国が97年6月に着工。基地東側約213ヘクタールを埋め立て、延長約2440メートルの滑走路を約1キロ沖合に移設した。2010年5月に運用開始。総事業費は約2560億円。12年12月から民間機が発着する岩国錦帯橋空港に活用される一方、17年ごろまでに米海軍厚木基地から空母艦載機の移転が予定され、在日米軍再編で極東最大級の基地になる見通しだ。

(2015年10月9日朝刊掲載)

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