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連載・特集

民の70年 第3部 民主主義の現在地 <1> 「中立」とは 議論避け

後援拒否 時事的催し 行政過剰反応

 国民の間で意見が大きく割れる社会問題で、議論を避ける風潮が広がる。異なる意見や弱い立場の人々への攻撃も目立つ。私たちは戦後、自由や平等、民主主義を掲げる社会を築いてきた。その足元は揺らいでいないだろうか。

 9月上旬に宇部市であった講演会。国会で激論の的となった安全保障関連法案に批判的な柳沢協二・元内閣官房副長官補を護憲派の市民団体が招いたが、市は後援を認めなかった。「特定政党の政治的活動やそれに類する活動」が理由だ。

 憲法や原発、安保分野で後援を不承諾とした事例は過去5年間で宇部市は8件。中国地方で最も多かった。うち3件は、今回の講演会を共催した「憲法9条の会うべ」が関わる。

減免なく負担増

 事務局の牧師小畑太作さん(47)は、2012年度の被爆ピアノ平和コンサートまで後援されなかったことに首をかしげる。「特定政党をPRする催しではない。護憲団体の主催というだけで、どんな行事も後援しないのは過剰反応ではないか」。市の後援が条件となる会場使用料の減免を受けられず、催しのたびに出費がかさむ。

 「集会、結社の自由」は憲法が認める権利だ。一方、政治や宗教の意向に行政が縛られた戦前の反省もあり、自治体は「中立」に気を使う。市総務管理課の床本博課長は「後援すると主催団体の憲法解釈を市が支持していると誤解されかねない。不承諾は、中立を保つため」と説明する。

 同市に限らず、不許可が相次ぐ背景に何があるのか。広島大大学院の川崎信文教授(行政学)は「幹部職員が可否を判断するケースでも、首長の意向を推し量っているはずだ。首長自身が次の市長選を考えたり、地元選出の国会議員、支持基盤の意向に配慮したりすることは考えられる」と指摘。「安保政策など国論を二分するテーマが増えた中で、今後さらに神経質になる可能性もある」とみる。

「煩雑さ不愉快」

 東日本大震災後に各地で計画された原発の安全性を考える催しでも、後援拒否が相次いだ。尾道市の主婦大住元美登里さん(70)は震災5カ月後の11年8月、原発に批判的な研究者の講演会を企画。同市に後援を依頼した。大住元さんが保管する市の不許可通知には、こう書いてあった。「原子力発電は、国の政策」「市としての中立性が保てない」…。

 大住元さんは今も原発問題の勉強会を開くが、市に後援依頼をしなくなった。「煩雑なやりとりが不愉快で『何をやっても市は認めない』と諦めた。知らず知らずのうちに、行政のペースに私自身が巻き込まれているのかもしれない」(馬場洋太、石川昌義)

広島大法科大学院・門田教授に聞く 乱用は少数意見排除に

 市民団体が主催する行事の後援を拒否する自治体の対応について、憲法学が専門の広島大法科大学院の門田孝教授=写真=に聞いた。

  ―憲法や原発など時事的な催しで自治体が後援を見送る動きをどう見ますか。
 後援の可否は行政の裁量の範囲内だが、少しでも政治的な内容だからといって関与しないという姿勢は行き過ぎだ。市民が多様な意見に触れることが、言論や民主主義の活性化につながる。自治体は市民の声を聞いて政策を決めている以上、政治的に無色ではない。政治的中立を理由にした後援拒否の乱用は、少数意見を公の表現の場から排除することにつながりかねない。

  ―「国や市の方針との相違」などを後援拒否の理由にする姿勢に問題はありますか。
 国や自治体の姿勢と異なる少数意見を自治体がバックアップすることに、憲法上の問題は何もない。市の施策や考えをまとめた資料を会場で配布してもらうなど、誤解を避ける方法はある。自らの方針に沿うものしか後援しないのは、逆に特定の見解に肩入れすることになる。意見の割れる問題こそ、市民に広く知ってもらうべきだろう。

(2015年10月11日朝刊掲載)

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