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連載・特集

民の70年 第3部 民主主義の現在地 <5> 作家・高橋源一郎さんに聞く

意見の相違 認め合おう 「大きな声」には反論を

 反発を恐れての過剰な萎縮、少数者の存在を認めない不寛容、声を上げる人々を抑え込む圧力…。民主主義を掲げる私たちの社会には閉塞(へいそく)感が漂う。安全保障関連法に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」との共著もある尾道市出身の作家高橋源一郎さん(64)に尋ねた。「民主主義って何だ?」(石川昌義)

 ―国会前をデモ参加者が埋め尽くしました。原動力は何だったのでしょう。
 ある日突然生まれたデモだと思っているでしょう。でも、そうじゃない。東日本大震災後の脱原発運動や特定秘密保護法への反発…。そうした下地に「何かおかしい」という空気が発火寸前まで広がっていた。そこに、シンボルとなる若者たちの行動があった。

 言論や集会の自由は使わないと意味がない。政治家に預けた主権を「持ち逃げされたから返してくれ」という普通の感覚や、「自分たちに主権がある」という民主主義の記憶が呼び覚まされたんじゃないかな。

個人尊重で共感

 ―若者たちの訴えが急速に全国へ広がったのはなぜでしょうか。
 「戦争に行きたくない」とか「人を殺すのは嫌だ」とか、個人を大切にした言葉だから、あちこちに拡散した。一方で、強い言葉も飛び交っている。「反日分子」「売国奴」だとか。相手を認めない強い言葉。民主主義は相手を認めることから始まる。相手がこっちを見ていなくても、こっちは相手を認めなくちゃ。

 ―言論の不自由さやヘイトスピーチ(憎悪表現)の背後には「話し合えなさ」があるのでは。
 強い言葉でコミュニケーションを遮断しないと、相手の話を聞かないといけなくなる。面倒くさいから、相手を拒む。ヘイトの矛先がマイノリティーに向かうのも同じ理由。楽だから。

 誰かをやっつけないと収まらない鬱屈(うっくつ)した感情が広がっている。解消するには現実を変える必要がある。それより弱い標的を見つけ、やっつけた方が勝利感に酔える。世界中、どこも同じ。欧州では難民、移民、イスラム教徒に不寛容な政党が力を強めている。少数派が憎しみの的になり、レイシスト(人種差別主義者)が支持を増やしている。

 ―相手を拒絶する動きには、どう対応すればいいのでしょうか。
 抱き締めるしかない。憎しみの言葉を口にしない。かつてのベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)がそうだった。スパイと疑われるような脱走兵がいても、受け入れた。いろんな人がいて、意見が合わない人とうまくやる仕組みが民主主義なんだ。大きな声で萎縮させようという力には、きちんと反論しよう。反論することが普通になれば「ああ、反論していいんだ」という気分になる。

デモ 当たり前に

 ―「デモでは何も変わらない」という冷めた見方もあります。
 デモが当たり前の社会に変わったと思う。デモ(示威行動)とデモクラシー(民主主義)は親和的。どちらもデモス(ギリシャ語で「民衆」の意味)の思いを共有することだから。

 近くで原発計画がある祝島(山口県上関町)では、毎週月曜夜に住民がデモをしている。継続的な意思表示を大事だと思う人が集まり、30年以上も続いている。意思表示を続けないと「主権は選挙でしか行使できない」なんて言う政治家の言葉に「そうかな」と思っちゃうよ。

たかはし・げんいちろう
 1951年生まれ。明治学院大国際学部教授。88年「優雅で感傷的な日本野球」で三島由紀夫賞。SEALDsとの対談「民主主義ってなんだ?」(河出書房新社)と論壇時評集「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書)をことし相次いで刊行した。神奈川県鎌倉市在住。

民主主義と大衆運動の70年

1946年 4月 戦後初の総選挙。20歳以上の女性が初めて投票し、女性議
         員が誕生
  47年 5月 日本国憲法施行。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を
         明記
  52年 5月 皇居前広場で「血のメーデー事件」。デモ隊の2人死亡
  60年 6月 第1次安保闘争。約30万人が国会前を包囲。警官隊との衝
         突で女子大学生1人死亡
     10月 社会党の浅沼稲次郎委員長を右翼少年が刺殺
  68年    東京大、日本大を発端に学生運動が全国へ拡大
  69年 1月 東京大安田講堂の封鎖解除に機動隊が突入
  70年 6月 第2次安保闘争
  82年 3月 核兵器廃絶を訴える「平和のためのヒロシマ行動」。広島市
         中心部で約20万人の大規模集会
  86年 4月 男女雇用機会均等法施行
  87年 5月 朝日新聞阪神支局を暴漢が襲撃。記者1人死亡。「赤報隊」
         を名乗る犯行声明も
2001年 4月 情報公開法施行
  11年 3月 東日本大震災。首相官邸前デモなど脱原発の機運高まる
  13年12月 特定秘密保護法成立
  15年 9月 安全保障関連法成立。国会前で連日の大規模デモ

 連載「民の70年」はこれで終わります。

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取材を終えて

常に学んで議論 戦前に戻さぬ道

 「消火に備えて毎日、水をくみ置くのが面倒。(空襲が)来るなら早よう来ればいいのに、と思っていた」。この連載で取材した、福山市の福山空襲を体験した91歳の女性の話が忘れられない。国が「空襲は怖くない」と国民に信じ込ませていた。

 国は戦争への不平や批判を抑え込むため、表現の自由や知識を奪い、うそもついた。それが戦前から学ぶべき教訓ではないか。

 太平洋戦争の終戦から70年。国民主権をうたい、表現の自由を定めた日本国憲法の下、私たちは戦後社会を築いてきた。高度経済成長を遂げ、暮らしも豊かになった。だが、「知らしむべからず」「ものを言わさぬ空気」は、今も形を変えて再現されていないか。

 「18歳選挙権」を控え、安全保障関連法案をテーマに模擬投票をした高校の授業に対し、山口県議会で県議が疑問を呈した。波紋は県境を越え、模擬投票を計画した教育現場は萎縮し、投票テーマから政治的課題を外した。一部自治体は「政治的中立性」を理由に憲法、安保に関する講演会などの後援を拒否した。市民を政治から遠ざけ、考える機会を奪っていないか。

 取材した市民や識者からも「声の大きい人たちが国の行き先を決め、暴走しかねない」「無関心を装い、傍観していると危ない」と訴える声を多く聞いた。

 ただ、悲観ばかりでもない。安保関連法案に反対した広島市の母親グループは、デモ中に法案賛成の人から反論された。意見が異なる人と議論できるように、教員を招いて中学校の公民を学び直す勉強会を計画中という。  ずっと学ぶ。多様な意見に触れ議論する。声を発し続ける。熱意と努力が必要だが、それが「戦前」に再び戻らない道であり、70年培ってきた民主主義だと感じている。(馬場洋太)

(2015年10月16日朝刊掲載)

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