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社説・コラム

社説 世界記憶遺産問題 政治利用よりも対話を

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、政治的な争いの場となっている。教育や文化の振興を通じて「人の心の中に平和のとりでをつくる」とうたっているのに本末転倒ではないか。

 「南京大虐殺」に関する資料が世界記憶遺産に登録されたのがきっかけだ。日本政府は「政治利用」と激しく反発し、ユネスコへの拠出金停止などの検討も始めた。中国政府は「脅迫する言動」と一歩も引かない。

 ただ、ユネスコを資金面で締め付けるようなやり方で問題が解決するだろうか。日本が支払いをやめても中国が穴埋めし、かえって国際社会での影響力低下を招くという指摘もある。

 拠出金を打ち切れば、世界遺産などユネスコ活動のすべてから手を引くことにもなる。国内で登録を待つ候補が少なくないことを忘れてはなるまい。

 おとといになってやっと、岸田文雄外相が「まず(登録制度の)改善を強く求める」と強調し、拠出金の判断を先送りする考えを示唆した。当然だろう。冷静に対処してもらいたい。

 確かに、記憶遺産の登録制度で見直すべき点はある。審議が非公開で、関係国の意見が反映される仕組みがない。世界遺産や無形文化遺産と違って国際法に基づいておらず、ユネスコ事務局が独自に運営していることが背景にあるようだ。

 国際的に価値のある文書や絵画、映像を残す必要があるかどうかは検討されるが、内容が歴史的に正しいかどうかは基準とされない。南京大虐殺の犠牲者数について中国は「30万人以上」とするが、日本では「数万人から20万人」まで諸説ある。今回の登録で中国の主張が認められたわけではない。しかし、登録を「お墨付き」として利用すればあつれきが生まれる。

 このままでは「南京」以外の案件でも、同じような摩擦が生じる可能性がある。馳浩文部科学相が来月パリであるユネスコ総会に出席する方針という。制度の成熟を促してほしい。

 加えて、日中関係が冷え込む中でこの騒動が始まったことからも、目を背けてはなるまい。2012年の尖閣諸島の国有化、13年の安倍晋三首相の靖国神社参拝などで日本の右傾化に疑念を強めた中国が14年2月、登録申請を行う計画を明らかにした。互いの不信感が強まれば、歴史認識の溝を埋めるのはさらに難しくなる。

 安倍首相も外交努力の大切さを繰り返し口にしている。11月1日に韓国で開かれる予定の日中韓首脳会談をぜひ成功させてほしい。日韓だけでなく、日中のトップ会談も実現させ、対話を深めるべきである。

 南京大虐殺をめぐる日中の歴史共同研究は06年、安倍首相と当時の胡錦濤国家主席との会談を機に始まったことを思い返したい。研究によって犠牲者数など日中の見解を併記した報告書がまとまったが、その後は停滞している。首脳同士の話し合いにより、共同研究をもう一度始められないだろうか。

 中国側には、大規模な虐殺事件であること、女性への暴行など非人道的な行為があったことなどを日本が認めれば、共同研究を再開させてもいいとの声もある。政治家の感情的なやりとりではなく実証的な研究によってこそ、共通認識の道が開けるだろう。

(2015年10月18日朝刊掲載)

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