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兵隊・武器無用の社会に 真宗本願寺派備後教区 福山で平和のつどい 僧侶や門信徒800人参加 「戦争の足音」懸念

 広島県東部と岡山県西部の浄土真宗本願寺派備後教区(261寺)が7日、福山市内で平和のつどいを開いた。ことしは戦後70年で、つどいが20回目の節目を迎えたため教区全体で企画、運営した。僧侶や門信徒約800人が参加。朗読劇や法話などで平和への思いを新たにし、「戦争は仏さまの教えに背き、人間のいのちをふみにじる罪悪」とするアピール文も採択した。(桜井邦彦)

 冒頭の全戦争犠牲者追悼法要では、備後教区の野川大卓・教務所長(58)を導師に、教区内16組の32人が正信念仏偈作法を勤めた。兵隊や武器は無用であるという「兵戈(ひょうが)無用」を説いた仏説無量寿経の一説も唱えた。野川所長は「また再び戦争の足音が近づいているのではないか」と懸念を示し、武器のない世界を目指す努力を訴えた。

 若手僧侶たちは「尊い犠牲」をテーマに創作した約25分間の朗読劇を上演。1945年8月の福山大空襲体験者の実話を基にした語りで、兄を原爆で失った空襲体験者役が、自衛官を志す孫の大学生役に問いかけた。「本当に尊いのは命。兄さんには生きていてほしかった。もう二度と、尊い犠牲なんかを出しちゃあいけん」。会場に向けた問題提起でもあった。

 講演した元陸上自衛官の泥憲和さん(61)=兵庫県姫路市=は、民間人による紛争地域での支援活動が現地に和平をもたらした事例を紹介し、「軍隊を送り込んで戦争が終わったことはない」と指摘。真宗大谷派の門徒として大切に思う教え「兵戈無用」を強調した。照専寺(福山市)の佐々木至成前住職(73)は続いて法話に立ち、「兵隊も武器も用いないという仏の願いを、わが願いとして生きていくことが大事」と説いた。

 会場では幅広い世代が講演や法話を聞き、それぞれに戦争と平和の意味を考えた。拍手で採択したアピール文は「『戦争する国』に近づいていく動き」「日本が他国の戦争に加わっていく法律や政策」への反対を盛り込み、安全保障関連法への否定的な思いをにじませた。

 笠岡市の主婦広中誠枝さん(70)は「大勢の犠牲を出すことは、国のためといえない。みんなが幸せになるのが本当に尊いこと。『世のなか安穏なれ』という親鸞聖人の教えが全世界に広まってほしい」と願っていた。

 つどいは、戦争に協力した宗派の歴史を反省しながら、戦没者の追悼と非戦平和を目指した取り組み。95年4月の全戦没者総追悼法要で、過去への「慚愧(ざんぎ)」や、「すべての『いのち』を尊ぶ仏教の精神の実践」を説いた大谷光真前門主(70)の言葉を胸に刻み、この年に1回目のつどいを開いた。

 2004年に台風のため1度中止になった以外は、毎年継続。近年は教区内の隣接する複数の組で持ち回って運営し、場所も各地を巡回している。講師は、平和の問題に取り組む本願寺派の僧侶や作家、映画監督たちを毎年招いている。

 教区の組長代表で圓光寺(庄原市)の豊浦順海住職(77)は「つどいは結論を出す目的でなく、参加者みんなで命について考える場。こういう機会を各組やお寺でも増やしたい」と話していた。

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 備後教区はつどいに合わせ、本願寺派寺院と戦争との関わりを写真などで検証した冊子「世のなか安穏なれ―70年前の実相」を作った。

 「身命を捨てて国家を護るといふ事程大きな社会事業はない」などと説いた1933年の法話原稿、特攻隊員の遺書などの写真を掲載。A4判、70ページで、2千部刷ってつどいの参加者や、教区内の寺などに配った。

(2015年10月19日朝刊掲載)

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