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連載・特集

銀幕再興 第3部 映画祭 震災や被爆 作品発掘 作り手と志を共有

 災害の爪痕や原爆の惨禍…。その土地にまつわるテーマに、映画を通じて向き合い、記憶し、発信する―。そんな志を原動力に歴史を重ねる映画祭がある。

 山形市で1989年から隔年開催している山形国際ドキュメンタリー映画祭。国内外のドキュメンタリー作家が目指す記録映画の祭典は2011年、東日本大震災をテーマにした作品の特集「ともにある Cinema with Us」を組んだ。震災から半年にもかかわらず、29本を上映し、その年の最大の特集となった。「あの時期にあれだけ集まったのは山形だけ」。映画祭を開催するNPO法人の高橋卓也事務局長(59)は力を込める。

 特集のきっかけとなった出来事がある。高橋事務局長が被災地での映画上映ボランティアとして宮城県石巻市を訪問した11年5月、1人車に泊まり込み、避難所で暮らす人々を追う映像作家に出会った。その姿は映画祭創設を呼び掛けたドキュメンタリー作家、故小川紳介監督と重なった。

世界に実態伝える

 成田空港の建設反対闘争に迫る「三里塚シリーズ」や山形県に移住して農村の生活に密着した作品で知られる小川監督。「同じ目線で、ともに生活し、被写体に迫る」。そんな記録映画の正攻法を目の当たりにし、可能性をあらためて感じたという。「作家が問題意識を持って作る映像にはすごい情報量が詰まっている。東北の映画祭として、多くの震災の映画を上映しよう」と心に決めた。

 特集上映後、作品に関心を持った海外の映画祭から、山形の映画祭事務局に「うちでも上映したい」と問い合わせが舞い込んだ。作家や配給会社に取り次ぎ、震災の実態を世界に伝える窓口にもなった。

 毎回、2千本前後がコンペティション応募作として国内外から集まる同映画祭。このうち震災関連は計200本以上が届いている。その中からピックアップし、特集上映を続ける。

 NPO法人は14年11月、震災の関連作品を収集、保存する「311ドキュメンタリーフィルム・アーカイブ」を開設した。これまでのコンペ応募作約1万3千本を収納するフィルムライブラリーを活用。来館者がビデオブースで無料鑑賞できるほか、作者の同意を得て登録した作品は、映画祭のホームページで詳細情報を日本語と英語で紹介し、発信に努めている。

 「震災から4年半が過ぎ、関連作品の上映機会が減っている。映画祭以外でも、見てもらう機会を増やしたい」とアーカイブ担当の畑あゆみさん(44)。現在、震災関連の登録作品は70本。作り手と付き合いの深い映画祭だからこそ可能な取り組みを継続し、今後も内容の充実を図る。

手弁当で平和発信

 被爆地ヒロシマでは、広島市内の映画ファンが手弁当で「平和」を発信する。隔年開催の「ヒロシマ平和映画祭」。被爆60年の05年、映像に刻まれた被爆の記憶や平和への願いにあらためて目を向けようとスタートした。

 呼び掛けたのは安佐南区の映像作家、青原さとし代表(53)。佐伯区出身の故新藤兼人監督の映画「原爆の子」などを鑑賞し、「貴重なヒロシマの記憶」をスクリーンに発見したのがきっかけだった。

 コンペで受賞作を決める映画祭ではなく、記録映画や劇映画の種類や新旧を問わず、実行委員の「見たい」作品を上映。監督や関係者のトークやシンポジウムも交え、幅広い世代が平和について考える。

 日本初公開や公開後ほとんど再演されなかった作品にも光を当てた。同映画祭が発掘した「ヒロシマ1966」は、欠落や傷があったフィルム2本を、東京国立近代美術館フィルムセンターがつないで復元。平和をテーマにした作品の収集に取り組む広島市映像文化ライブラリーが新たに所蔵作品に加えた。佐藤武主幹(55)は「ヒロシマ関連映画の発見のきっかけになっている」と評価する。

 「『ヒロシマ』が持つ言葉のシンボル性は広島市民が思っているより大きい。その期待を受信し、映像作品を通じて応答していきたい」と青原代表。次回は来年1月の開催を予定。規模は小さくとも、確かな足跡を刻んでいる。(余村泰樹)

(2015年10月23日朝刊掲載)

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