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毒ガス死没者に誓う不戦 竹原・大久野島で慰霊式

 旧日本陸軍の毒ガス製造工場があった竹原市の大久野島で22日、毒ガス障害死没者慰霊式があった。元工員や動員学徒、遺族たち約120人が参列。戦後70年の節目にあらためて不戦を誓い、元同僚や知人の冥福を祈った。

 この1年間に亡くなった74人を加えた計3730人の死没者名簿を慰霊碑に納め、全員で黙とうした。大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会の神明正明副会長(84)は「世界各地の紛争でいまだに毒ガス使用が報じられている。戦争の悲惨さを次代へ伝え、核兵器と生物化学兵器の廃絶を強く全世界に訴える」と宣言、式典を締めくくった。

 連絡協の主催で30回目。毒ガス製造工室で働いていた大阪府吹田市、無職伊藤大二さん(91)は初めて参列し、「仲間や上司の顔が浮かんだ。みんなの分も後世へ語り継ぐ責任を感じる」と涙ぐんでいた。

 工場では1929~45年、イペリットやルイサイトなどを製造していた。今も呼吸器系疾患など後遺症に苦しむ被害者がいる。(山下悟史)

毒ガス被害者 深まる老い 継承 「残された時間は少ない」 大久野島 死没者慰霊式 竹原

 竹原市の大久野島で22日にあった毒ガス障害死没者慰霊式に姿を見せた元工員、動員学徒たちは87人だった。戦後70年。力が続く限り被害を伝えたいと誓う人もいれば、高齢化が著しい被害者団体の運営や慰霊式の今後を案じる人もいた。さまざまな思いを胸に慰霊碑に手を合わせた。(山下悟史)

 式典ではつえをついた人や、孫に手を引かれて参列した人も。後遺症のせいで式の途中にせき込む被害者もいた。遺族の老いも深まり、いすの空席も目立った。

 主催した大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会の神明正明副会長(84)は「慰霊式ができなくなるのも時間の問題なのかもしれない」と危ぶむ。

 毒ガス工場の作業従事者は健康管理手帳を受け取っている。県被爆者支援課によると、所持者は最も多かった1987年度、全国に4772人いた。2010年度には2753人、現在は2073人だ。高齢化などで組織運営ができなくなったとして解散する被爆者団体も出てきたが、被爆者の平均年齢は80・13歳。毒ガス被害者は同88歳だ。

 大久野島瀬戸田親睦会(尾道市)の橋本三枝子さん(86)は「会員もどんどん亡くなる。私たちが体験を語れるうちに何か手を打たないと残された時間は少ない」と訴えていた。

(2015年10月23日朝刊掲載)

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