2001被爆者の伝言 中谷玉江さん (上) 両親に「ごめんなさい」言えんかった
10年12月7日
中谷玉江さん(69) 広島市中区江波東
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逃げとったよね、原爆から。若いころ、夏になるといつも思ってた。やけどしてなかったら、腕や足のケロイドもなかったのにって。自分がみじめで、大人社会で胸を張って歩けると思えんかった。外見を気にして、憶病だった。 r>r>
進徳高女(現進徳女子高)二年の時に被爆、十三歳だった。爆心地から約一・四キロの中区南竹屋町の校庭で、建物疎開に行くため集合する最中だった r>r>
被爆前の学校生活は楽しかった。空襲警報で机の下に隠れると、みんなでひそひそ話をするの。自分の救急袋から非常食のいり大豆を取り出して交換したりね。つまらんことでも楽しんでた。戦時下で苦しかったはずなのに不謹慎よね。 r>r>