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被爆者の掘り起こしを 国交ない台湾で初の団体

日本との格差是正訴え

 台湾で初の被爆者団体となる「台湾被爆者の会」が今月5日、台北で設立された。日本と国交がなく政府の在外被爆者援護の情報が届きにくいため、被爆から66年が経過した現段階で確認できる被爆者は18人だけ。会はまだ名乗り出ていない被爆者の掘り起こしを目指すとともに、高齢化が進む中で日本政府の積極的な支援を求めている。(金崎由美)

 「私は66年前、日本人だったが、被爆者と認められるには時間がかかった」。台湾中部の港町、布袋。広島で被爆した蔡崇金さん(83)が流ちょうな日本語で語った。

 日本の植民地支配下、地元の国民学校に通い日本語教育を受けた。1941年、広島の旧制広陵中に留学。爆心地から2.7キロ離れた吉島本町(現中区)の学徒動員先で被爆した。左足にけがを負いながら、死体処理に明け暮れた。

 翌年春、台湾に帰郷すると、懸命に働き仕送りをしてくれた父は失明していた。大学進学を断念し、父の雑貨店を継いだ。

 蔡さんが被爆者健康手帳を取得したのは2004年。現地の新聞記事で、2003年から在外被爆者にも日本政府の健康管理手当(月額約3万3千円)が支給されていると知ったからだ。当時は来日が義務付けられていたため、長崎県で手続きした。

 「被爆して苦労したことをやっと認めてもらえたが、もっと早く日本人との格差がなくなっていたら」と割り切れなさも残る。

 被爆者援護法には、国籍で被爆者を区別する規定はないが、厚生労働省は長年、国外に住む被爆者を援護対象から外してきた。

 国は2003年、在外被爆者をめぐる大阪高裁の訴訟で敗訴したのを機に、日本から出国すれば健康管理手当の受給権を失うとする旧厚生省の局長通達を廃止。2008年に手帳申請、2010年には原爆症申請が在外公館で可能になった。

 だが、こうした情報は台湾ではほとんど伝わっていない。大使館に相当する交流協会台北事務所の松村敏夫主任は「名乗り出る人がいればどんな支援ができるか検討する」と述べるにとどめた。

 会には早速、台北郊外に住む85歳の元軍人男性から「広島で被爆した。手帳を取得したい」と連絡が入った。台北での設立総会を報道で知ったという。

 在外被爆者の支援に取り組む中谷悦子さん(62)=廿日市市=は「日本の植民地支配で台湾人被爆者が生まれた歴史を忘れてはならない」と指摘。被爆者の掘り起こし、援護情報の提供などを被爆者や支援者任せにするのではなく、国も積極的に関わるよう求める。

台湾の被爆者
 厚生労働省によると、18人が被爆者健康手帳を持つ。広島で被爆したのは、旧制中学の留学生や軍人、その家族、長崎は長崎医科大(現長崎大医学部)の留学生や研修医だった。台湾人と結婚した日本人女性も含まれる。

(2011年11月12日朝刊掲載)

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