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ヒロシマ発信 次は自宅から 東区の田中さん 来年3月目指し改築 4日から伊訪問 海外証言「体力の限界」

 国内外で被爆証言を重ねてきた広島市東区の七宝作家、田中稔子さん(77)が4日からのイタリア訪問を最後に、海外での証言活動に終止符を打つ。「体力の限界」を感じたためだ。代わりに、自宅を改築して平和交流スペースを作り、ヒロシマを学びにくる人たちに使ってもらう。来春完成する予定で、平和を追い求める人々の輪を今度は地元でつなげる。(山本祐司)

 「将来、外国に出かけて話すことは難しいかも」。今年3月、世界を巡った非政府組織(NGO)ピースボートの船から下りる時、そう感じた。13年前、作品を運ぶ時に転び、手術を受けた左膝がより痛むようになったからだ。2、3年前からは炎症を起こし、歩行が難しくなってきた。外出につえは欠かせず、その時の旅も痛みをこらえながら被爆の惨禍を伝えた。

 6歳の時、爆心地から約2・3キロで被爆した。当初は悲しい記憶と向き合えず古希を迎え、ようやく証言活動を始めた。ピースボートには3回乗り、これまで10カ国以上で話した。相手の心に直接願いを届けたいと練習を重ね、今では英語で被爆体験を伝える。体は衰えても、「広島は平和を求めていく使命がある」という信念は変わらない。

 広島にいながら、その役割を果たせないか―。考えた末、自宅を、海外から平和について学びにくる人たちと、市民が触れ合える場所にしようと思いついた。

 計画では、アトリエなどがある1階約60平方メートルを平和交流スペースにリフォームする。平和をテーマにした自身の作品も展示。JR広島駅(南区)まで車で約5分の立地を生かし、列車に乗る前などに立ち寄ってコーヒーを飲んだり七宝焼を作ったりして広島での学びや交流を深めてもらう。宿泊はできないが、休憩用の和室も造る。要望があれば田中さんが証言する。

 住民にも提供し、利用料は取らない。改築費用は、老後に備えてためた資金を充て、残された人生を平和のためにささげるつもりだ。来年3月の完成披露を目指し、オープン後は、ボランティアスタッフを募って運営していく。

 「海外はこれで最後」と決意したイタリアには、15日まで滞在。広島・長崎の被爆70年に合わせた反核イベントに参加する。ピサやフィレンツェなど5都市で講演。物理学の研究者にも話す。「平和は絶えずつくっていかないといけない。今まで経験したことの総まとめとして証言し、国境を越えて核兵器廃絶の思いを共有してきたい」

(2015年11月2日朝刊掲載)

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