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社説・コラム

天風録 「日常の陰の隣人たち」

 真っ赤な日の丸を背に少年は敬礼し、声を張り上げる。「りっぱな軍人になり 国のために命をささげます」。ノンフィクション作家、佐木隆三さんの幼き日の姿から、その絵本は始まる▲4年前に世に出た「昭和二十年八さいの日記」である。父の徴兵で朝鮮半島から現在の安芸高田市の母の実家に引き揚げていた。あの日、見たのがきのこ雲。傷つき、黒い雨に遭って逃げてきた人々が亡くなっていく▲「軍国少年だった自分にも向き合った」と本紙の取材に答えていた。あるいは負い目があったのかもしれない。大人も子どもも日本が勝つと信じていた時代、自らも人をあやめる可能性があったと▲昭和、平成を震撼(しんかん)させた殺人犯らの内面に迫ってきた佐木さんが亡くなった。裁判の傍聴を重ね、社会の矛盾に翻弄(ほんろう)される実像が見えたからか。彼らを「日常の陰の隣人たち」と呼んだ。代表作「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」のモデルも自分と似ていると▲生まれた時から人殺しだったわけではない―。犯罪に怒り、自問自答しつつ、そんなまなざしにたどりついたのだろう。書き残したいことは、まだあったはずだ。最初で最後の絵本になってしまったのが残念でならない。

(2015年11月3日朝刊掲載)

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