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援護区域 妥当性問う 「黒い雨」あす提訴 64人 健康被害訴え

 広島原爆で降った放射性降下物を含む「黒い雨」の援護対象区域拡大を国に迫るため、広島市、安芸太田町、安芸高田市、府中町の住民計64人が4日、広島地裁に提訴する。いずれも区域外で黒い雨に遭い、健康被害を受けたと主張。形式上は広島県、広島市に対し、被爆者健康手帳などの交付却下処分取り消しを求めるが事実上、国と争う。経緯と争点をまとめた。(水川恭輔)

■背景

 黒い雨の援護では、国は政令で定める爆心地から市北西部へかけての「大雨地域」(長さ約19キロ、幅約11キロ)で雨を浴びた住民らに「第1種健康診断受診者証」を交付し、無料の健康診断を実施。定めた病気になった場合は、被爆者健康手帳に切り替えている。一方でこの区域から外れれば、周辺の「小雨地域」でも援護がないという線引きをしてきた。

 広島市は2010年、住民ら約3万7千人への08年の調査などを基に、未指定地域で黒い雨を体験した人は心身の健康面で被爆者に匹敵するほど「不良」で、放射線による健康不安が要因の一つと訴え、区域を約6倍に広げるよう広島県などと共に国へ要望した。

■国の立場

 国は、国費による被爆者援護の理由を「放射能による健康障害は一般の戦争損害と一線を画すべき『特別の犠牲』」(1980年の原爆被爆者対策基本問題懇談会報告)と位置づけ、「健康被害の科学的根拠がなければ区域拡大できない」との考えを一貫している。

 厚生労働省は有識者検討会の議論を経て、12年7月に区域拡大について「科学的、合理的根拠がない」と退けた。

■住民の狙い

 「国は住民、県市の再三の要望を否定した。提訴は最後の手段だ」。訴訟を主導する広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会の高野正明会長は言う。

 協議会は「検討会は被害者の立場に立っていなかった」などと反発。集団訴訟を視野に、71人がことし3~7月に被爆者健康手帳などの交付を県市に申請した。10月までに全員却下(2人は入市被爆が確認され交付)され、提訴の運びとなった。

■争点

 却下処分取り消しを求めるのは「第1種健康診断受診者証」と、被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳の二つの取得申請だ。

 受診者証の交付は「大雨地域」が条件のため、県、市は今回の住民らはいずれも「地域外」として却下した。そもそも、国は広島管区気象台(当時)の技師らが1945年にした調査に基づき、政令で援護対象区域を「大雨地域」に決めたが、線引きが妥当かどうかが、争点の一つだ。

 別の気象専門家らは以前から雨域はもっと広かったと指摘。市の調査では大雨地域の約6倍の範囲で降ったと推定。研究者が区域外で原爆由来とみられる放射性降下物も確認している。

 一方、被爆者健康手帳の交付を求める根拠は「身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」という援護法の「3号被爆」の規定。主に救護を想定しているが、原告側は放射性降下物による内部被曝(ひばく)などを考慮し、「黒い雨」の影響もこれにあてはめるべきだと訴える構えだ。

 内部被曝は、10月29日に原告17人が勝訴した東京地裁の原爆症認定訴訟の判決でも「影響を考慮すべきだ」とした。09年、3号被爆をめぐり敗訴した市が、広島県などと協議し、判決を基に救護状況の審査基準を緩やかにした経緯もある。弁護団は「『黒い雨』を、一連の被爆者訴訟の成果の集大成にしたい」と意気込んでいる。

<「黒い雨」と援護をめぐる経過>

1945年 8月 広島、長崎に米国が原爆を投下
     12月 広島管区気象台(当時)の宇田道隆技師らが「黒い雨」の調査結果をまとめる。降雨エリアは爆
         心地から北西方向に延びる長さ29キロ、幅15キロの卵形の範囲。うち長さ19キロ、幅11
         キロの卵形の範囲で1時間以上の激しい雨が降った、とした
  57年 4月 原爆医療法施行
  76年 9月 原爆医療法施行令改正。「大雨地域」を第1種健康診断特例区域に指定
  79年 5月 厚生省が76、78年度の調査を基に「放射能の残留はなく、地域拡大の必要は認められない」
         と報告
  80年12月 原爆被爆者対策基本問題懇談会が意見書。被爆地域指定については「科学的・合理的な根拠のあ
         る場合に限定して行うべきだ」
  87年 5月 元気象研究所研究室長の増田善信氏が「黒い雨は従来の降雨地域の2倍の範囲に降った」と気象
         学会で報告
  88年 3月 増田氏が再調査を基に「降雨範囲は従来の4倍」と発表
      8月 県、広島市が「黒い雨に関する専門家会議」を設置
  91年 5月 専門家会議が「現時点では放射能の残存と人体への影響は認められない」と報告
  95年 7月 被爆者援護法施行
  96年 9月 葉佐井博巳広島電機大教授らが被爆直後に広島市内で採取された砂を分析。従来の降雨域の外
         で、黒い雨に由来するとみられる放射性物質を検出
2001年12月 広島市が市原爆被爆実態調査研究会を設置
  02年 4月 長崎被爆で国が、被爆による心理的影響があるとして、爆心地から半径12キロを第2種健康診
         断特例区域に指定
      8月 広島市が被爆体験の心理的な影響の解明に向け1万人を対象にアンケート
  04年 1月 広島市がアンケートの分析結果を発表。「黒い雨の体験者は今も心身への影響を受けている」と
         し、国に指定地域拡大を要望
  06年 8月 国は「科学的、合理的根拠になりえない」と地域拡大を認めず
  08年 4月 広島市が市原爆被爆実態調査研究会を再組織
      6月 県、広島市が約3万7千人を対象に原爆体験者等健康意識調査
  10年 5月 広島市が原爆体験者等健康意識調査報告書をまとめる。「黒い雨」の降雨域は「大雨地域」の約
         6倍の広さで、未指定地域で黒い雨に遭った住民らは心身の健康面が被爆者に匹敵するほど不良
         だと結論
      7月 報告書などを踏まえ、県と広島、廿日市、安芸高田3市、府中、海田、坂、安芸太田、北広島5
         町が、全降雨域を第1種健康診断特例区域に早急に指定するよう国に要望
     12月 厚生労働省が区域を広げるかどうかを科学的に検証する有識者検討会を設け、初会合
  11年 3月 福島第1原発事故が発生
  12年 7月 厚労省の有識者検討会が報告書をまとめる。広島市の調査を「原爆放射線による健康影響の合理
         的根拠とはならない」と、区域拡大に否定的な結論。黒い雨体験者には「不安軽減のための相談
         などの取り組みが有用」と指摘▽報告書を尊重し、小宮山洋子厚労相が区域拡大の見送りを表明
  13年10月 国の委託を受け、県、広島市が区域外で黒い雨に遭い健康被害を訴える人を対象に、保健師らに
         よる無料相談を開始
  15年 3月 区域外で黒い雨に遭い、健康被害を受けたとして、広島市や安芸太田町の住民が、市、県に被爆
         者健康手帳、健康診断受診者証の交付を集団申請。7月までに71人に
     10月 広島市、県が黒い雨被害を理由にした71人全員の手帳、受診者証交付申請を却下(うち2人は
         入市被爆の事実を認め手帳交付)

(2015年11月3日朝刊掲載)

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