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社説・コラム

【解説】薄らぐ被爆国の意義

 核兵器保有国と非保有国の橋渡し役になる―。日本政府は、そう宣言して「現実的な核軍縮」を進めようとしてきた。しかし、現実はどうだろうか。国連総会第1委員会で日本が主導する核兵器廃絶決議案は22年連続で採択されたが、保有国は反対または棄権に回り、1カ国も賛成しなかった。

 被爆70年の節目の決議は、広島、長崎の訪問や被爆者の証言活動の重要性を掲げた。外務省は、作成段階では「合意できなかったNPT再検討会議の最終文書に代わる今後の核軍縮のベースをつくる」と意気込み、幅広い支持を求めた。

 ところが、結果的に保有国からそっぽを向かれた。核兵器の非人道性を問う議論から「保有国と非保有国の対立が深まっている」(同省関係者)というが、昨年までは米国、英国、フランスの核保有3カ国は賛成していた。後退した状況を踏まえれば、日本政府が橋渡し役を果たせているとは到底言えまい。

 その上、日本政府は、オーストリアなどが主導する核兵器禁止の法的枠組みづくりへの努力を呼び掛ける決議案の採決を棄権した。米の「核の傘」を重視し、核兵器禁止条約の早期制定に消極的な姿は、廃絶に向けた多様な動きに水を差している。

 橋渡し役になれない。禁止条約を呼び掛ける国々と連帯もできない。「核兵器の悲惨さを直接知る国」の存在意義は揺らぎ、薄らいでいる。(藤村潤平)

(2015年11月4日朝刊掲載)

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