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社説・コラム

社説 核廃絶と国連決議 被爆国の姿勢問われる

 「いかなる状況でも核兵器が二度と使用されないことが人類の利益」という訴えにうなずいた。核兵器禁止への法的枠組みづくりを呼び掛ける決議が、国連総会で軍縮を受け持つ委員会で採択された。

 なかなか前に進まない禁止条約を念頭に置くものだ。オーストリアなどが主導し、国連加盟の6割を超す128カ国が賛成した。しかし唯一の戦争被爆国たる日本が棄権したことに、本気度を疑わざるを得ない。

 決議の中身を読むと、これのどこに問題があるというのかと思いたくなる。全ての保有国に軍事面で核の役割を低減させ、核兵器を早期に減らすよう求めた。被爆者の訴えや願いと相通じるものにほかならない。

 被爆70年の節目でもある。法的拘束力のない決議にさえ背を向けた日本政府への非難が被爆者から上がるのも無理はない。

 日本の立場と整合性が取りにくかったと佐野利男軍縮大使は弁明した。核兵器を持つ国と持たざる国の間に立ち、協力を促して段階的に廃絶を進める「橋渡し役」を果たすと言うのだろう。しかし、要するに日本の自己矛盾がこれまで以上に浮き彫りになったのではないか。

 米国が差し掛ける「核の傘」に安全保障を委ね、核抑止論を肯定する一方で、核兵器廃絶を訴えていることである。

 厳しい現状を考えてもらいたい。オーストリアなどの決議提出の背景には、核不拡散条約(NPT)再検討会議が決裂したことがある。核兵器禁止条約どころかNPT体制が本来、核保有国に課す削減義務すら十分に果たされていない。こうした状況から巻き返す一手でもあろう。

 国際社会は、もはや核廃絶が主流派となっている。こうした世界の潮流から取り残されつつあるという自覚を、日本政府は持つべきである。

 なのに非核外交が後退しているとの印象は拭えない。2年前の国連総会の同じ委員会では、核兵器の非人道性や不使用を訴える声明で日本が共同発表者となったはずだ。このままなら、多くの国を失望させよう。

 核兵器をめぐる外交戦略の行き詰まりは日本が主導したもう一つの廃絶決議にも表れていないか。核の非人道性を強調する内容を含み、いっぱい踏み込んだつもりなのだろう。だが156カ国の賛同を受ける一方、米ロ英仏中の保有国は全て反対か棄権に回った。特に米国の棄権はショックだったようだ。「核なき世界」を掲げるオバマ大統領の誕生に伴い2009年から毎年、共同提案国だったからだ。

 こうした中途半端な状況を考えれば、国連決議で日本の役割を演出するという長年の手法の限界を感じざるを得ない。

 むろん日本主導の決議に全く意味がないわけではない。「Hibakusha(被爆者)」の表現を用い、各国指導者らに被爆地訪問を呼び掛けたことは確かにメッセージ性があろう。しかし、それだけで自己満足していては前進がないのは明らかだ。核保有国と非保有国の間に立つというより、廃絶に向けて先頭に立ち、保有国に強く働き掛ける姿勢が必要である。

 その上で原発の使用済み燃料のプルトニウムを大量にため込んでいる事実が、核兵器転用という要らざる疑惑と隣り合わせであることにも留意すべきだ。

(2015年11月5日朝刊掲載)

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