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同じ被害をなぜ「線引き」 「黒い雨」集団提訴 高齢化「後がない」 病身押し切なる訴え 広島地裁

 「黒い雨」被害をもっと認めて―。あの日、雨に遭いながら、国の「線引き」で援護の外に置かれてきた広島県内の64人が4日、広島市、広島県に被爆者健康手帳の交付などを求めて集団訴訟に踏み切った。原告は70~90歳。がんなどの病を患う人も多い。「もう後がない」。切なる思いを胸に、援護対象区域拡大をかたくなに拒む国を突き動かすべく、法廷での闘いに心身を投じる。(田中美千子、高本友子)

 原告の一人、安佐北区の水本信也さん(79)はつえを支えに、広島地裁へ少しずつ歩を進めた。5年前にがんが見つかり、胃を全摘。術後の体重は10キロ以上減り、今も「腹にずっしり石を抱えた感覚」が消えない。それでも提訴には立ち会いたかったという。「必死なんだと伝えたくて」

 黒い雨を浴びたのは9歳の時。あの朝は可部町(現安佐北区)で新聞配達中に鋭い光と不気味なきのこ雲を見た。亀山村(同)の自宅に帰り、田んぼの草取りをしていた昼下がり、雨が降り出すと、着ていたシャツが黒く汚れた。その夜、下痢もしたという。

 洋服の仕立て職人として必死に働いた戦後、「黒い雨被害者」の自覚はなかったが、52歳で腎臓病を発症。薬が手放せなくなった。同じころ、一緒に雨を浴びた二つ上の姉は胃がんを患い、闘病の末に58歳で逝った。「あの雨のせいだ」。2004年、被害者組織に入った。

 いくら被害を訴えても、厚生労働省は「科学的な根拠がない」の一点張り。水本さんは「それなら、援護対象区域を決めた『科学的根拠』は何なのか。同じ雨を浴びながら、援護が受けられないのはおかしい」と憤る。

 やはり広島地裁へ赴いた佐伯区の本毛稔さん(75)も思いを重ねる。水内村だった当時から住む自宅の100メートル先に水内川が流れる。川向こうの「大雨地域」は援護が受けられ、「小雨地域」となった自宅周辺は対象外。「同じ雨を浴び、谷の沢の水を飲んだのに…。どうして差をつけられるのか」

 自宅前で共に雨を浴びた弟は翌月、肝臓の病気で亡くなった。自身も20歳代まで原因不明の鼻血に悩まされた。02~04年には3度の白内障手術に耐えた。「もう、これが最後。私たちの声を聞いてほしい」と力を込めた。

(2015年11月5日朝刊掲載)

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