×

社説・コラム

『潮流』 まつろわぬ心

■論説委員・石丸賢

 「腹いっぱい食べたい」と「日本に帰りたい」という思いの繰り返し―。旧ソ連によるシベリア抑留体験を本紙インタビュー「言」で振り返った品川始さん(92)=島根県邑南町=の語り口は今もみずみずしい。

 それに負けず劣らず、兵隊にとられる前の逸話は反骨ぶりを物語っていて、聞き逃せない。

 戦時中、「不良少年」呼ばわりされていたという。14歳で広島市内に出て、映画館で看板絵師の見習いをしていたころ、粋がって背広を着た。洋画にかぶれ、髪もリーゼントに。警察に目を付けられ、何度か引っ張られたと懐かしむ。

 徴兵検査に備えて中国山地の田所村(現邑南町)に戻っても、その心意気は変わらない。「元寇以来、わが国には神風が吹く」と加護を信じて疑わない年寄りたちの戦争談議に飽き、こう吹っかけたという。

 「敵国にだって神様はいるはず。日本に吹くのなら、向こうにも神風が吹かないわけがない」

 かんかんになって、「家で一体どういう教育をしとるのか」と親にねじ込む者までいたらしい。世の中が、すでに戦時色に染まっていたのだろう。

 1歳違いで、ことし他界した哲学者の鶴見俊輔さんも晩年、「不良少年」だったことが抵抗の足場になったと回想している。

 日米安全保障条約の改定に異を唱えて1960年、東京工業大助教授の職を辞した。70年には大学紛争の収拾に警察を引き入れた大学当局に抗議し、同志社大教授のいすをなげうつ。

 裸一貫に戻ることを、さらさら恐れていなかった。その気組みは、収容所の窮乏生活を生き抜いた品川さんと重なって映る。

 世の大勢だからとなびくことなく、納得いかないものには服従しない。まつろわぬ心が枯れぬよう、水をやり続ける…。大正生まれの胆力に教えられる。

(2015年11月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ