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原爆稲 広島で継ぐ 長崎・爆心地近くに実った子孫 三次の玉井さん 2年目に収穫

 広島県三次市上川立町の農業玉井平一さん(75)が、70年前に原爆が投下された長崎の爆心地近くで、被爆後に穂を実らせた稲の子孫「原爆稲」を栽培し、収穫した。玉井さんは「節目の年に広島でも原爆稲を受け継ぎたい」と話している。(城戸良彰)

 原爆稲の祖先に当たる種もみは1945年10月、国の調査団に参加した九州大の研究者が、爆心地から約500メートルの浦上天主堂近くの水田跡で見つけた。翌年から、同大農学部(福岡市東区)が管理し現在まで受け継ぐ。

 同大農学部出身の古賀毅敏さん(74)=福岡市中央区=が、20年前に同大から種もみを譲り受けて長崎市などで育て、全国の希望者に無償配布してきた。現在は、自身が事務局長を務める「フェニックス三郎記念館」(福岡市南区)の敷地内でポット栽培している。

 古賀さんによると、原爆稲は放射線の影響で、染色体の先端が切断されて入れ替わる転座が起きたため、もみの半分は中身が空になるという。品種は「神力」とみられる。

 玉井さんは、6年ほど前に農業雑誌で原爆稲を知った。昨年3月古賀さんに電話をして種もみを譲ってもらった。自身の田んぼに植えたが、昨年はうまく実らなかった。ことしは苗の作り方を工夫して、約0・15アールで再挑戦し成功。黄の実ったもみと、緑の空もみにはっきり分かれた。

 10月末に鎌で刈り取り、脱穀後に重さを量ると約5キロだった。収穫した米は家族と食べた。「被爆の歴史と平和への願いを伝えるため、一農家としてできることをしたい」と話す。来年以降も栽培を続けるという。

(2015年11月17日朝刊掲載)

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