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建てよう幻の「原爆堂」 故白井晟一氏プラン 日本建築家協広島地域会 近く基金設立

 核兵器廃絶を願う施設として、1955年に著名建築家白井晟一氏(1905~83年)がプランを発表した「原爆堂」についてのシンポジウムが20日、広島市中区の世界平和記念聖堂であった。日本建築家協会中国支部広島地域会(中区)が基金を設けて建設実現を目指す構想を説明し、協力を呼び掛けた。

 白井氏のイメージ図では、池の中央に堂を、対岸に原爆被害を描いた絵などを展示する施設を設け、池底の地下道でつなぐ。54年3月の米国のビキニ水爆実験などを機に翌年発表した。原爆資料館(同)を設計した丹下健三氏の作風と対比され、建築界で注目されたが、場所も決まらず実現していない。

 シンポで、広島地域会の垂井俊郎会長は「被爆70年の節目に白井氏の遺志を継ぐ活動を始め、広島の建築家として平和に寄与したい」と表明。協会本部と調整して「原爆堂計画実現基金」を近く設立し、会員、企業からの募金や候補地選定を進める意向を示した。

 パネル討論もあり、白井さんの次男で建築家の昱磨さん(71)=東京都東久留米市=は「建築家で珍しく核の問題をテーマにしたのは父が当初、哲学を学んでいたのが一因だろう」と解説。広島大大学院の岡河貢准教授(建築学)は「造形から『核兵器の墓場』というメッセージを感じる」と述べた。中国支部の主催で会員や市民ら約100人が訪れた。(水川恭輔)

  (2015年11月21日朝刊掲載)

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