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社説・コラム

天風録 「金泳三氏と日本人恩師」

 瀬戸内海をぶらつくと神社の灯籠や玉垣に異国の地名が刻まれている。ハワイあり、台湾あり、朝鮮半島あり。出稼ぎの漁民たちが昔、寄進した証しだ。故郷を忘れぬ心根を思う▲韓国の港町統営(トンヨン)は小イワシ漁で栄え、戦前は広島県人が多数移り住んだ。日本による植民地支配の時代だ。ある校長の朝礼の話の多くは、わが民族の悪口だったよ―。訃報が届いた金(キム)泳三(ヨンサム)元大統領の遠い思い出である▲だが立派な先生もいた、と本紙記者に明かしている。校長に水バケツを持たされた時、広島高師出身の渡辺巽(たつみ)教頭は「下ろしてもいい」と声を掛けてくれたという。後年、国会議員に当選すると彼と再会した。大統領になると遺族を青瓦台に招いた▲32年ぶりに文民政権を実現し、軍勢力を一掃する。「正しい道を進めば阻むものはない」という禅語「大道無門」を座右の銘にしていたものの、大統領時代の経済運営は失敗が続く。世評相半ばする政治家人生だった▲韓日にとって渡辺先生のような人がいてよかった―。元大統領は本紙の取材の締めくくりに、こう答えている。歴史認識では日本に厳しかったが、情の人でもあったのだろう。そんな秘話を忘れまいと思う。

(2015年11月24日朝刊掲載)

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