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社説・コラム

社説 ASEAN共同体 平和共生の理念 実現を

 激動するアジアにとって、一つの節目となろう。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10カ国の首脳がマレーシアのクアラルンプールで「ASEAN共同体」の発足を宣言した。12月31日に正式に始動し、まず経済分野の統合が核となる。

 南シナ海での人工島建設に象徴される中国の振る舞いを、どうけん制するか。クアラルンプールでの一連の首脳会議では、そこばかりに注目が集まった感がある。とはいえ人口6億人という圏域を単一市場とし、しかも「共生社会」をうたう共同体ができる意味は大きい。

 ASEANは冷戦時代に生まれた政治機構である。内戦を終結させたカンボジアが最後に加わった。社会主義国もあれば王制国家もあり、民主化途上のミャンマーのような国もある。民族も宗教も違う国々が手を携えてきたのは、紛争防止という共通目的があったからだろう。

 その中で1990年代から経済に軸足を置く共同体の構想が持ち上がっていた。加盟国の成長が加速する半面、グローバル化の中で一つの経済圏を構築しなければ、欧米など巨大市場の草刈り場になるとの危機感もあったに違いない。曲がりなりにも前に踏み出したことでASEANはさらに進化しよう。

 むろん現時点では将来像が見えにくいのも確かだ。「経済」「政治・安全保障」「社会・文化」の3本柱で共同体を構成するという方法論はいいが、あくまで10カ国の緩やかな結合にとどまる。通貨の統合を果たし、共同の行政機構を持つ欧州連合(EU)とは別物といえる。

 先行する経済分野にしても課題は山積する。域内総生産を現在の世界7位から15年後には4位の巨大市場に―。そんな目標を掲げ、関税撤廃や熟練労働者の移動自由化などを進めるという。ただ国家体制が違う以上、さまざまな非関税障壁の克服は簡単ではなかろう。加盟国間で最大50倍以上という経済格差をどうするかも問われてくる。

 ただ、圏域を一体化する意義を単に市場経済の視点で語るだけでいいのだろうか。

 ASEANの基本条約である東南アジア友好協力条約で、武力不行使を原則としていることを忘れてはならない。10カ国を対象に、核兵器の保有と開発を禁じる東南アジア非核兵器地帯条約も、97年に発効している。日本の平和憲法にも通じる圏域の理念を再出発の共同体でも十分に生かし、宗教や民族の間の対立が絶えない世界全体の共生モデルに育てるべきだ。

 現実には南シナ海での領有権争いなどで加盟国は一枚岩でない。カンボジアのような親中派もいる一方、フィリピンやベトナムは中国と対立する。別に発表したASEAN首脳会議の議長声明では南シナ海問題に触れたが玉虫色の表現となった。

 米国や日本はこの圏域で「対中包囲網」を広げたいのが本音だろう。人工島をめぐって中国を非難するのは当然だが、かといってASEAN分断を招き、ひいては共同体の議論に支障が出るとすれば好ましくない。

 日本はこれまでASEAN諸国を有望な市場、あるいは安価な労働力を持つ生産拠点などとして体よく利用してきたきらいがある。新たな共同体とどう向き合い、かつ支えていくのか。外交戦略が問い直されよう。

(2015年11月25日朝刊掲載)

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