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連載・特集

『生きて』 核物理学者 葉佐井博巳さん(1931年~) <10> 線量見直し(上)

被爆試料で解析に挑む

  米ロスアラモス研究所から戻った翌1983年、広島大工学部教授に就く。原爆が人間に浴びせた放射線量の推定と解析に当たる
 工学部は広大統合移転の第一陣で82年に東広島市へ移りました。そこで、ヴァンデグラーフ型という加速器やコバルト60ガンマ線照射装置、最新の測定器を順次そろえていきました。放射線総合実験室の管理は、私ら応用原子核物理学講座の担当。広島の被爆試料から実際の放射線量に迫る態勢も整ったんです。

 「T65D」(原爆放射線量を推定する65年発表の暫定値)の見直し、「DS86」は、米エネルギー省と旧厚生省による研究チームを中心に進んでいた。広島原爆の中性子線量が言われているより10分の1少ないのであれば、放射線影響研究所(広島市南区)が追跡している、がんなどの後障害は低い線量で起きたことになる。被爆の実態に迫るためにも正確なデータが要るわけです。

 見直しには、今は広島大原爆放射線医科学研究所(同)という原医研が既に入っていた(82年に「再評価研究班」を設置)。助手だった星正治さん(現名誉教授)が「データがしっかりしない」と相談にきました。彼もロスアラモスに派遣されたので親しくなっていた。核物理学講座を支えてくれた静間清さん(現特任教授)らとグループをつくり、実際の線量測定を始めていきました。

 最初は、爆心地から約130メートルの元安橋の柱でした。原爆から放出された中性子は、建物の素材である岩石や土などに当たると、自然界には存在しない放射性のユーロピウム152を生成した。半減期(原子数が半分となる期間)は13年だが、ほんのわずかであっても残っている。放射化された数を逆算すれば、どれくらいの中性子線量だったかが分かる。その深度分布にも着目した。中性子は近距離であるほどエネルギーが減衰せず測定しやすいんです。

 実際に測るには元安橋に穴を開けるしかない(92年架け替え)。広島市に掛け合い、何とか認めてもらった。そうして広島赤十字・原爆病院(93年解体)や逓信病院(95年に一部保存)、福屋、引き取り手のない墓石と100を超す地点で試料を採った。原爆ドームからもです。

(2015年11月25日朝刊掲載)

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