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社説・コラム

『潮流』 暴力に負けないために

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 テロという理不尽な暴力で「最愛の人」を奪われた。悲しみに打ちのめされるだけではなく、怒りや憎しみが湧き起こってくるのは自然なことだろう。それでも、この人は「君たち(実行犯ら)に憎しみを向けることはない」と言い切っている。

 パリ同時多発テロで妻を殺されたフランス人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんである。フェイスブックに書いた文章が各国のメディアで取り上げられた。本紙も21日朝刊で紹介している。

 亡き妻へのあふれる愛情、残された1歳5カ月の息子と2人で、今まで通り自由に幸せに生きていく決意がつづられている。全文に目を通すと、なるほど共感を呼ぶのもうなずける。

 感傷的なだけではない。「恐れをなし、同じ街に住む市民らに疑いの目を向け、身の安全のために自由を犠牲にすること」は否定する。社会の分断が進み、抑圧が高じてくれば、新たなテロの芽を生む。それこそテロリストが望んでいること。そう喝破しているのだ。

 自由、平等、博愛を掲げる国には、ふさわしい態度かもしれない。でもなぜ、これほど強くなれるのだろうか。憎しみや暴力、恨みの中で息子を成長させたくない―。フランスのメディアの質問には、そう答えている。

 テロに限らない。どこかで連鎖を断ち切らない限り、暴力は果てしなく続く。テロに屈しないために、連鎖から抜け出す。そう考えて、前を向くことを選んだのだろう。

 究極の暴力ともいえる原爆を投下した米国を許したわけではない。しかし、そこにとどまることなく、核兵器廃絶や世界平和の実現の訴えに重きを置く。そんな被爆者の言動とも重なり、頭が下がる。

 もちろんそれで、テロや原爆投下の事実や罪、責任が消えるわけではない。言うまでもないことだろうが。

(2015年11月26日朝刊掲載)

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