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社説・コラム

『記者縦横』 実りない レッテル論争

■東京支社・城戸収

 「私がしゃべるとレッテルを貼りたくてしようがない人がいらっしゃる」。今月上旬、都内であった安倍晋三首相の講演会。首相は、目指す「1億総活躍社会」への批判を「レッテル貼り」と評した。その言葉は後日、今年の流行語大賞にノミネートされた。

 確かに首相の口から何度も聞いた。安全保障関連法案を「戦争法案」と批判されると、必ずといっていいほど反論で使った。2年前、国家戦略特区をめぐって議論された解雇ルール緩和を「解雇特区」と批判された時も繰り返していた。

 政党や政治家は、民意を引き付ける言葉を繰り出して競う。例えば、小泉純一郎元首相の「自民党をぶっ壊す」。民主党の「マニフェスト」などもそうだ。力を帯びた言葉は追い風を生むことがある。

 ただ、短い言葉は分かりやすい半面、丁寧な議論が見えにくくなる面があるのも確かだろう。その意味において「レッテル貼り」という言葉自体、口にした時点で議論が打ち切られてしまう恐れがある。批判の中に有効な提案があっても「賛同しないなら受け付けない」と言わんばかりだ。

 野党やマスコミに真意をねじ曲げられている、とのいら立ちが安倍首相にあるのだろう。だが、レッテル貼りと断ずる前に説明を尽くすのが筋だ。そして、その一言を持ちだす感覚が、政権の姿勢に対する国民の不安を助長させる一因ではないだろうか。批判を安易に切り捨てる風潮が、政界に流行してはならない。

(2015年11月27日朝刊掲載)

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