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連載・特集

『生きて』 核物理学者 葉佐井博巳さん(1931年~) <12> 「DS02」

政治と距離 20年間追究

 原爆放射線量を推定する計算方式「DS86」を再評価し、日米合同研究者会議と上級委員会の日本側代表として「DS02」を取りまとめていく
 そもそも「DS86」(スーパーコンピューターによる計算値を基に1986年策定された推定方式)の改定を狙ったのではありません。人間が浴びた致命的な放射線量を扱うのに間違いがあってはならない。その気持ちから再評価を続けたんです。

 広島大グループは、私が代表となりまず文部省の科学研究費を申請していきました。金沢大や京都大の研究者も一緒に発表を続けた。すると、米エネルギー省が「資金を出すから」と声を掛けてきた。私らを無視できなくなった。厚生省は「政府の側に立って成果を」と求めてきた。原爆症の認定に「DS86」を基にしていたからです。断ると「何も言いませんから」となりましたが。

 線量の見直しに取り組んだ20年間、科学者としての追究に専念しました。研究をもって運動に積極的な人もいますが、それでは目的ありきになってしまう。政治的な思惑や運動とは一線を画しました。

 広島大を95年に退職。移った現広島国際学院大で学長に就いた2001年、「DS02」を策定する日米合同研究者会議が始まる。日米各4人の上級委員会は03年に承認した
 米国の研究者らは合意を急ぐ姿勢も見せたが、科学的に議論すれば理解を示した。ただ、向こうは核兵器を持ち開発する側。私たちと立ち位置が違う。溝はつきまといました。

 「DS02」は「DS86」より信頼性が高い原爆放射線量推定方式です。改良版ともいえます。広島原爆の出力は、被爆試料に基づく誘導放射線の測定値と建物の遮へい効果の計算値を細かく比較して、TNT火薬15キロトンから16キロトンに改められた。さく裂の高さは580メートルから600メートルに修正された(長崎は21キロトン、高さ503メートルで変化なし)。中性子線量は、爆心地の近距離では基本的に一致し、1~2キロは最大で10%増加となった(長崎は10~30%減少)。

 最先端の研究をしたつもりですが、その時点でしかない。科学の進歩で試料からさらに放射線量を測れるとなった時どうするか。被爆建物を保存する意味がそこにあります。

(2015年11月27日朝刊掲載)

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