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社説・コラム

『潮流』 60年ぶりの音色

■論説委員・田原直樹

 満場の客席をとらえた写真が残っている。後方に立ち見客もぎっしり。1955年の終戦の日に、広島市公会堂で開かれた音楽会である。昼夜2回の公演に5千人が集まったという。

 演目はフィンランドの作曲家アールトネンによる交響曲第2番ヒロシマ。被爆地を題材にした世界初の交響曲である。楽譜を託された指揮者の朝比奈隆氏が関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)を率いて広島で奏でた。

 肉親や友人を死に追いやった原爆がどう表現されるのか―。被爆10年後の夏、市民は息をのんで聴いたことだろう。死者を悼む調べに、救いを求める人もあったかもしれない。

 演奏が終わった時、聴衆はしばらく無言だったという。だが、やがて爆発的な拍手が湧き起こった。

 当時の聴衆を思い、耳を傾けた。長く行方知れずだった楽譜が昨年見つかり、広島交響楽団が先週、60年ぶりに演奏した。

 歴史的な作品は被爆4年後の49年に書かれた。日本でも情報が統制されていた時代に、遠い北欧でどうやって仕上げたのだろう。

 「グロテスクな軍隊調の行進曲」「陰惨な主題が爆発音を表現」「火の暴風」「心理的な絶叫」…。アールトネン自身、曲想をそんな言葉で解説している。わずかな写真や記事などからイメージを膨らませ、一音一音紡いだに違いない。

 国境を超えた原爆への憤りと犠牲者を悼む気持ちから心打つ芸術が生まれた。

 惨状を語る被爆者が減る中、あの日を想起する力こそ一層重要になるだろう。

 30分余りの曲は、作曲者が記すように「裡(うら)に潜む力強い反抗を反映したエネルギッシュな形で」幕を閉じた。重々しい中にも希望を感じさせる音楽だった。想像力や共感の大切さとともに、大事にしたい。

 来月6日には大阪フィルが三原市で演奏する。

(2015年11月28日朝刊掲載)

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