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「原爆体験記」ウェブ発信 1950年初版 来年 全文 3言語に翻訳 広島追悼祈念館

 広島市が被爆5年後の1950年に初めて募った「原爆体験記」を、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が英語、中国語、韓国・朝鮮語に翻訳し、来年からウェブでも発信する。全165編の体験記は、原爆被害をめぐる検閲があった占領下に寄せられ、一部が編まれたが一般に配布されることはなかった。ヒロシマの惨禍を克明につづった歴史的な手記集であり、今も大半が埋もれたまま。祈念館は、執筆者や遺族の了解を得て、まず16編の全文を公開することにしている。(編集委員・西本雅実)

 祈念館は、来年1年間を通じて企画展「原爆体験記 ヒロシマ原点の記録」を開くのに伴い、原文の翻訳作業を進めている。

 16編の執筆者は被爆当時、国民学校3年生から市国民義勇隊本部事務長や、後に広島県原爆被害者団体協議会(56年結成)理事となる理髪店主ら。市出身の俳優の祖父の手記も含まれる。健在なのは2人だけ。

 東岸(ひがし)(旧姓馬場)初江さん(92)=東京都町田市=は45年8月6日、爆心地から約710メートルの福屋内の広島貯金支局で引率した動員学徒と被爆し、教え子を背負って脱出した状況を400字詰め14枚に記した。

 「感情を高ぶらせて書いたものですが、戦争は人殺しでしかない現実や、生き残った者の思いを読み取ってほしい」と願う。

 手記募集は50年6月から始まり、被爆時に大学生を含む一般81人、児童・生徒84人から寄せられた。

 うち18編が、広島商工会議所などとつくる広島平和協会が「原爆体験記」と題して同年8月6日に発行した。しかし、朝鮮戦争が直前に起こり、平和祭(現平和記念式典)が連合国軍総司令部(GHQ)の圧力で中止に追い込まれた中で、刊行本の配布は関係者にとどまった。

 新たに11編を加えた同名書籍が65年に東京から出版、今も増刷されている。原文と照合すると、占領下に行われた削除や改題がそのまま使われている。

 オリジナル原稿は98年、市公文書館にあるのが判明。紙の劣化のためコピーで閲覧と複写に応じているが、手書き文字が判読しにくかったり、プライバシー保護から固有名詞が伏せられたりしている。

 今回、祈念館は、全編を電子データ化して2011年に市へ寄せた広島大名誉教授の葉佐井博巳さん(84)=広島市佐伯区=のテキストとも突き合わせ、可能な限り原文のまま公開する方針だ。

原点の記録紹介

叶真幹祈念館長の話
 「原爆体験記」は今に続く被爆者手記の原点ともいえる記録だ。占領下にあっても原爆に対する生々しい感情や、平和を希求する熱い思いが書き残されている。生原稿が現存している意味でも貴重。市公文書館の協力を得て活用し、国内外に広く紹介したい。

(2015年11月29日朝刊掲載)

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